ロックンロールとエトセトラ  
 

10月 ブルーライト
Blue Light/ Bloc Party

 
   
  #19 ベーグルサンド イチコ
 

 ロッシの家に急いだ。なんだか分からないけど、すぐにロッシに会いたかった。
 ドアをノックしても返事がなかったけど、鍵がかかっていなかったから勝手に入った。
 案の定、あのクローゼットから物音が聞こえて来た。声を掛けようか迷ったけど、結局ソファに深々と腰掛けた。
 ロッシのソファは茶色のコーデュロイで、くたくたになっている。右側がロッシの定位 置で、そこは常に誰かが座っているみたいに、ぽっこりと窪んでいる。そしてあたしの定位 置はその反対側だ 。
 いつものソファにいつものように座っているのに、まるでロッシの家に初めて来たみたいに、落ち着かない気分になっていた。
 ロッシに揺り起こされて気が付いた。
「チー、何やってんだ?」
 ロッシは驚いた顔をしてあたしを見下ろしていた。
「あれ、寝てた? ごめん、勝手に」
「ああ、いいけどよ、どした? なんかあったか?」
 ロッシは不思議そうな顔で言う。
「ううん、なんでもないよ……ただ、来ただけ」
 会いたくなって来た、とは言わなかった。
「けど入ってたから、待とうと思って」
 あたしはクローゼットを指差して言った。
「ああ、そか」
 ロッシは頷いて定位置にどかっと座った。
「進んでる?」
「ああ、けど本数が半端じゃねえし、材料費もかかるから、プリントせずに今は現像だけ。ネガだけだよ」
「じゃあ、その中からいいのをプリントするんだ?」
「ああ。だな」
 そう言いながらあたしはロッシの横顔を盗み見た。たったの5日で、ロッシの髭は延び放題に生い茂って、頬と顎を覆っていた。髪の毛と同じ薄茶色だった。
「ちゃんと寝てんの?」
「ああ、適当に……なんか、ミー言ってたか?」
「うん、なんか様子が変だって、心配してた。なんで話さないの? 写真のこと」
「ああ。言わねえよ」
「なんで?」
「だって。だせぇだろ?」
 ロッシは頭をぽりぽり掻いて言う。ダサイ? だなんて思わなかった。
 とりあえずのバーテンをしているロッシよりも、無精髭で必死になっているロッシの方が、ずっといい。そう思ったけど。口に出しては言わなかった。
「いいんだ。びびって1年以上も現像できなかったなんて、言えねえって」
「……そっか」
 きっとロッシの男の意地なんだろう。
「じゃあ、できるだけ黙っておくよ」
「できるだけって、なんだよ?」
 ロッシは苦笑した。もしかしたら、ロッシはみんなに、じゃなくてミミコに知られなくないのかもしれない。そのロッシの言う、情けない所を。
 ロッシはまだミミコの事を想っているんだろうか?
 ロッシはいつのまにかミミコの話ばっかりしなくなって、あたしがミミコの話をしても、そうか。とかふぬ けた返事しか返さなくなった。
 だから思った。うすうす自分でも望みがないって気付いてるのかもって。だからあたしはミミコの話をあえてしたりはしなくなった。
「なんだ? まだ眠いのか? いいぞ、ここで寝てても」
「え、ああ、」
 あたしが考えを巡らせているのを、ロッシは勘違いしていた。
「風邪ひくぞ」
 そう言って勘違いしたままのロッシはベッドから持って来た毛布を掛けてくれる。それもきっちりと首まで。
「あ、ありがと」
 そう言って素直に巻かれておいた。
「じゃ、俺戻るから」
「うん」
 あたしはソファに横になったまま、クローゼットに手を掛けるロッシを見ていた。
「ロッシ、ちゃんと食べてる?」
 ふと思って聞く。さっきは髭の印象が強くて気付かなかったけど、ロッシは数日で顔がすっきりと痩せていた。元々そんなに痩せていた訳じゃないけど、かなりすっきりしていた。
「え? ああ飯か、腹減った時は食ってる。けど作んのめんどくせぇから。だから適当にチップスとか」
 ロッシが指差した部屋の隅には、特大サイズのりんごチップスの袋がいくつもあった。ロッシはこの数日りんごチップスだけ食べているんだろうか? きっと、そうなんだろう。
 あたしが唖然としてその袋を見ていると、ロッシはまた勘違いして言った。
「いっぱいあるから食ってもいいぞ」
 そう言ってロッシはクローゼットに戻って行った。
 今日のロッシはかなり的が外れていた。相当疲れているんだろう。
 なにか、自分に応も手伝えることがないか考えてみた。
 それからあたしはもぞもぞと起き上がって冷蔵庫を覗いてみた。
 あの日見たまんまの料理のできる男の冷蔵庫だった。だけど何も買い足されていなくて野菜は傷んでしまっていた。
 その中から腐っていない野菜とクリームチーズを見つけた。食パンには残念ながら緑のぼつぼつが出来ていたけど、冷凍庫にベーグルがいくつか入っているのを発見した。  半分にスライスして切ったベーグルをトースターで焼いて、バターを塗ると、トマトとレタスとクリームチーズをはさんだ。
 ちょうど出来上がった頃、クローゼットが開いて、ロッシが出てきた。
「なんかいい匂いする」 「はい。まともなもん食べてないんじゃないの?」
 あたしは、ロッシの鼻先にベーグルサンドを差し出した。これが偉そうに出せる程まともなのかどうかは、置いておいて。
「うあ、うまそ、食っていーのか?」
 ロッシは満面の笑みで言う。
 あたしが頷くと、ロッシはすぐにソファの定位置に座って、あっというまにベーグルを2つたいらげた。その間何回もうまい、を連発しながら。絶対に、今まで何度もロッシに夜食を作ってもらったし、きっとそれの方が何倍もおいしかったはずだけど。
 それでもロッシは嬉しそうに何度もお礼を言う。
 なんだかわからないけど、モモとミミコが楽しそうに料理をする理由が、なんとなく分かった気がした。

 
 

#1811月#1

 
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