ロックンロールとエトセトラ  
 

10月 ブルーライト
Blue Light/ Bloc Party

 
   
 #6 デクスター イチコ
 

『英国ロイヤル文学賞を過去最年少で受賞したアンドリュー・ジェイソン・デクスター氏が本日午後、宮殿に招かれエリザベス女王から勲章を授与されました。彼はマスコミ嫌いで有名で今まで一切の露出を避けていたのですが、ついに姿を現しましたね。ジェニー』
『ええ、あたし読書は苦手なんですけど、あんなキュウトな彼が書いている本なら、ぜひ読みたいわ』
『そう。今ジェニーが言ったように、これから彼の女性ファンの急増が予想されます。しかし理由がどうであれ活字離れした……』

「モモっ来てっ、デクスターがテレビ出るみたいっ」
 チコに呼ばれてテレビを見に行くと、スタイリッシュな細身の黒いスーツに身を包んだデクスター氏が勲章を受け取っている映像が流れていた。
「たっしかにかわいいね」
 チコが頷きながら言う。
「うん。あっ、ミミコ見たいよねっ、」
「ほんとだっ、ビデオっ」
 チコが急いで適当に掴んだビデオをデッキに突っ込んだ。あたしはすぐに傍にあったリモコンの録画ボタンを押したけど、デッキは動かない。
「えっなんで? アッ、これだめだっ 」
 チコがテープを出してみると、そのテープはノーキングのライブビデオで、爪が折ってあった。
「だめだっ、間に合わないっ」
 チコがあせって違うビデオを入れた。
 その時、あたしは咄嗟に思いついて、近くにあったデジカメでテレビを写した。その瞬間、画面 はまたスタジオ風景に戻っていた。横線が何本か入っていて粗いけど、あたしの手元には、ちゃんとデクスター氏が納まっていた。
「モモやったッ! えらいっ!」
 チコが満面の笑みで振り返った
「うんっ、他のチャンネルはっ?」
 それからふたりで一時間近くチャンネルを変えてデクスター氏を捜索したけど、彼はそれっきり現れなかった。
 それでもなんとか納めた画像をミミコに見せようと部屋に行ってみたけど、ミミコは眠っていた。
 1時間前に額にあてた半凍りのタオルはもうぬるくなっていて、まだ熱も下がっていなかった。
 あたしは少し不安だった。
 あたしたちはまだよくこの国の事を知らない。自分たちが思っていた以上に知らなかった。今回、そのことを痛感した。
 日本で病気になったらすぐに病院に行って、ひどい風邪でも注射一本ですぐによくなった。
 だけど、昨日診察の予約を取ろうと病院に行くと門前払いに合った。
 病院に直接行っても診てもらえないなんて、初めて知った。それから言われるままに政府機関に手続きに行った。そこから病院を紹介してもらえるシステムらしい。
 家に戻ってその病院に電話をかけると『じゃあ2週間後に来てくださいっ』て言われた。
聞き間違いだと思ったけど、そうじゃなかった。
 唖然とするあたしから受話器をもぎ取ったチコが俗語を連発して怒鳴ったけど、それでも状況は変わらなかった。
 ミミコが熱を出してから今日で3日目。
 ミミコはまるで溶けたみたいに眠り続けている。それを無理矢理起こしては、薬を飲ませたりスープを飲ませたりしている。昨日はチコもあたしも仕事で、ドロシアが一日ついていてくれた。そのおかげで、熱は37、5度まで下がった。それでもミミコはずっと眠り続けている。
 だけど、昨日ドロシアが来てくれたおかげで、チコもあたしもだいぶ安心できた。ドロシアが大丈夫って太鼓判を押してくれたから。
「よく寝るよね、ミミコ」
 チコが不安そうに言う。
「これ早く見せたいよね。絶対元気になるよ」
「ミミコはこのデクスターの騒ぎ知らないもんねー。まだおじいちゃんだと思ってるよ、きっと」
 あたしはデジカメのプレビュー画面を見て笑った。
「どうしたの? チコもデクスターファンになった?」
 急に黙ったチコを見てみると、眉間に深々とシワを作っていた。
「どうしたの?」
「うん。ね、この人会ったことない?」
「ええ? ないよー。こんな男前だったら覚えてるよ絶対」
「……そうだけど。いや、絶対会ったことある」
 チコは画面を見つめてそう断言した。
「分かんない。あー気持ち悪い、どこで会ったんだろう」
 チコは天井を見上げて呟く 。
「クラブとかライブハウスで見掛けただけとか?」
 あたしがまだ半信半疑でそう言っても、チコは一生懸命アンドリュー・ジェイソン・デクスターを見つめていた。
「アンドリューだよ、そんな王子様みたいな名前の知り合いいないよ」 「うーん、アンドリュー、アンド……アッ」
 急にチコが早足でリビングを横切った。
「何? どうしたの?」
「見ててっ、すごいかもッ」
 チコはペン立てから黒マジックを掴んで来ると、ソファにどすんと座った。
 それからタバコの箱のビニールを剥がすと、それをデジカメの画面に当ててマジックで何か描き始めた。
「やっぱりッ!」
 チコが絶叫に近い声を挙げてあたしにそれを差し出した。
 あたしはそれを見て、勢い良く息を吸った。びっくりし過ぎて声が出なかった。
「これ、すごいことだよ? ちょっと、どうしよう?」
 まだ興奮の納まらないチコが言う。
「ミミコに、教える? これ、叩き起こしても言うべき?」
 その時ベルが鳴って、あたしたちはびくっとした。誰も知らないはずの秘密を知ってしまったみたいでどきどきしていた。
 ふたりとも固まっていると、またベルが鳴った。
「あ、あたし出るよ。」
 そう言ってチコが勢い良く立ち上がると、デジカメの上からビニールがはらりと落ちた。

 
 

#5#7

 
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