ロックンロールとエトセトラ  
 

11月 オールオーバーミー
All Over Me/ Graham Coxon

 
   
 #5 ディナー イチコ
 

 ロッシの家に着いた時、きっとロッシは寝ているだろうと思っていたのに、ドアの外にまでなんだかいい匂いが漏れていた。
 ドアのベルを鳴らす。今までは勝手にドアを開けて入っていたけど、ロッシが元の生活能力のある大人に戻った今日からは、そうしてはいけないような気がした。
「さ、入って、」
 ロッシはまだ目の下に濃いクマを作ったまま、だけど弾けるような笑顔であたしを迎えてくれた。
 部屋に入ると、あたしはその光景に圧倒されて、立ち尽くした。
 壁中に、おびただしい枚数の写真がびっしりと貼られていた。さらにそこへ貼りきれなかった物は部屋に渡された何本かのロープにクリップで無数に留めてある。
「すごい……」
 あたしは溜め息を漏らした。まるでギャラリーみたいだ。
「さ、先に飯食おうぜ」
 ロッシはあたしをダイニングのテーブルに促す。
「え、でも」
 それでも突っ立って部屋を見回しているあたしの肘を、ロッシがひっぱった。
「ほら、写真は後でゆっくり見てくれればいいから」
 あたしは後ろ髪を引かれたけど、ロッシに付いて行くことにした。
「さ、座って」
 そう言われるまで、あたしはまた驚いて口をぽかんと開けたまま立っていた。
 テーブルの上には、ふたりじゃ食べきれないような量の、手の込んだおいしそうな料理が並んでいる。
 まるで雑誌に載っているようなおしゃれなダイニングに来たみたいだった。それもメニューを片っ端から頼んだくらいの両。
「すごい、これロッシが作ったの?」
「ああ」
「全部?」
「どっか飯行きたかったんだけどよ、今金ねぇし。全部写真に消えたから」
 そう言ってロッシは申し訳なさそうに笑う。
「何言ってんのっ? こんなすごい料理作ってくれたの? 信じられない、すごいってほんとにッありがとうっ、すごいよロッシ、」
 もっともっといろいろ言いたかったけど、言葉では言い尽くせなかった。
「そうか? まあ、ほら座れよ」
 ロッシは、からまってくしゃっとした猫っ毛をさらにくしゃくしゃにして、照れたように笑った。

 ロッシは、お皿に次々と料理を取り分けて、あたしに手渡してくれる。
 どれもこれも、本当においしかった。
 チキンのグリル、ベイクドポテト、カッテージパイ、シェパーズパイ、エビとアボカドのサラダ、サーモンのクリームパスタそれからデザートのトライフルにレモン・メレンゲケーキまで。あたしは本気でロッシに店を出せばいいのに、って何度も言った。そのくらい美味しかった。
 あたしたちはお腹がはちきれそうなくらい食べて、久しぶりに一緒にお酒も飲んだ。

***
「チーのおかげだから、ほんと。俺全然だめだった。けど、俺。やったんだ。ああ、俺まだ信じられねぇよ」
 あたしたちはビールを持ってダイニングからリビングのソファに移動した。ゆっくりと何度も何度もじっくり写 真を見て回る。
 やっぱりロッシの写真が大好きだと思った。言葉では言えないけど、なにかがじんわりとしみ込んで来る。まるで、胸の中にぽっと明かりが灯ったような感じがする。
 そういう気持ちをストレートにロッシに言いたかったけど、どうしてもうまく言えそうになくて、あたしはただ写 真を見ていた。きっと日本語でもうまく言えないだろうけど、英語だとさらに表現が乏しくなる。そんな自分がはがゆい。
 振り返ると、ロッシはソファに寝転がってあたしを見ていた。顔は笑っている。
 今までロッシはまるでザルで、あたしよりも先に酔うことなんてなかったのに、一ヶ月呑まなかったせいか、今日は簡単に酔っぱらった。
「あたし、なんにもしてないよ」
 あたしは笑いながら答えた。あたしもかなりいい気持ちになっている。
 ロッシはゆらゆらと視線を漂わせながら写真を眺めている。その表情はずっと夢見心地だ。
「いやッ、そんなことねぇよ。これが完成したのは、70%はチーのおかげだ」
 ロッシは突然ソファから勢い良く上半身を起こすと、本気の顔でそう言った。
「ええ! それは言いすぎだって」
 あたしは思わず吹き出した。
「いやほんとに。笑い事じゃねえよ。この一ヶ月さ、楽しかったし充実してたけどよ、体力的にはきつかった。何回も限界だって思った……けど、チーがいてくれたから。ほんと助かったんだ。俺甘えてばっかで情けねぇけど。でも……ありがとな。飯もすげぇうまかったし、それに、毎日チーが来てくれるだけで俺。充分だった」
 ロッシは口を挟ませずにそこまで一気に話すと、さらにとろんとなった目であたしを見ている。
「でもさ、」 「それに。」
 ロッシはあたしに反論させる気は全くないらしい。
「俺、すげえ嬉しかった……毎日チーの顔見れるだけでもう……」

 そこでロッシは目を閉じた。
 あたしは息を飲んで次の言葉を待った……だけど、次に聞こえて来たのはロッシの寝息だった。
 あたしはソファに背を向けてもう一度写真にゆっくりと目を通した。
 見ているようで、目には入っていなかった。ロッシが言った言葉で頭が埋め尽される。
 今のは一体、なんだったんだろう……。

 
 

#4#6

 
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