「チコ、荷造り出来た?」
開けっ放したドアからミミコが顔を出した。
「うーん、服どのくらい持っていけばいいのか迷って」
「足りなくても実家にあるでしょ?」
「ああ、そっか。じゃあこれもいらないや」
あたしはかさばる服をいくつか出した。
「それにしてもすごいことになってるね、部屋」
ミミコがそう言うのも無理はなかった。
「せっかくだし、帰って来た時に綺麗な部屋の方がいいなと思って掃除始めたら、よけいに汚れたよ」
あたしはそう言いながら情けなくなってきて、思わず笑ってしまう。
「先にクローゼットの中身全部出したりするからだよ!」
ミミコはおもしろそうに笑う。
「うん、そう思った」
あたしは掃除が苦手だ。
「あ、これロッシのじゃない?」
「あ、そうそう」
椅子に積み上げたCDからインキュバスの『ライヴアット・ロラパルーザ2003』を持ち上げてミミコが言う。
「この前ロッシがなくしたとか言ってたよ」
「あ、そうなんだ? 前にロッシが持ってきて置いて帰ったんだよ。それがあたしのと混ざってて。さっき気付いた」
「また買い直そうか迷ってたよー、帰る前に持って行ってあげたら?」
「あー、でも、」
あたしは滅茶苦茶になった部屋を見回した。
「ちょっと行って帰ってくるだけじゃない。服畳んどいてあげるよ」
ミミコが言う。
「ほんとに?」
甘い天使の囁きだ。もうこの部屋の片付けにも荷造りにもうんざりしていた。
「うん。じゃ、ちょっとだけ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ミミコは満面の笑みで手を振る。
少し歩いた時、まんまとミミコの計画に乗ってしまったんじゃないかと思った。だいたいCDはミミコに明日スナッグに持って行ってもらえばよかったんだ。
だけど、長い間私物化してたんだしな、って思い直して歩き出した。
それよりも、行く前にやっぱりもう一度ロッシに会いたいと思った。
これが友情だとしても、愛情だとしても、そのうち自然と答えが出るはずだから。
ロッシの家に行ってから1週間が過ぎた。その間に2回ロッシと会ったけど、以前と何も変わらなかった。眠りに墜ちる前に言ったことを、ロッシは覚えていないんだろう。それに、きっと写
真が完成した喜びで舞い上がっていて、なんとなく思った事を言っただけなんだろうと思った。
一週間離れて日本に行くのは、いい機会だと思った。
だけど、間近に迫った父との対決を思うと、気分はずんと重くなる。
倒れた、なんて聞くとあんなに憎らしい父のことでも、少しは心配になった。だけど自宅療養で済む程度で、大したことはないと聞いた途端、あえて会う必要はないんじゃないかと思った。
正直、会いたくない。今でもその気持ちに変わりはない。
父はいつもあたしの前に立ちはだかって、あたしを押さえ付けようとする。だから、あたしは実家にいた時だって、一日中逃げ回って、どうにかして父から隠れて過ごそうとしていた。
そうしたいのは今も同じだ。
「よお、チー。どした?」
チャイムを鳴らすと少しして寝起きらしいロッシが出てきた。
「ごめん、これ出てきた」
「あ? ああ、インキュバス? べつによかったのに。上がるだろ?」
ロッシはまだ眠そうな目を手の甲でぐいぐい擦って言う。
「ううん。あたしこれ渡しに来ただけだから」
「あ、上がってかないのか?」
「うん。片付けが途中で、部屋ぐちゃぐちゃで来たから。じゃあね。ごめん、それずっと借りっぱなしで」
「あ、うん、あのさチー」
「ん?」
「いや、なんでもねぇ、またな」
ロッシはなにか言いたげにもごもごしていたけど、まだ眠いのかスウェットのそで口で目をごしごし擦りながらそう言った。
「うん、じゃね」
なんだかそれが小さな子供みたいで、あたしは思わず笑いながら手を振った。
***
帰り道、あたしはものすごく後悔していた。
やっぱりミミコに返してもらえばよかった。そしたらこんな気持ちにならなかったのに。
あたしはあの寝癖でてっぺんの立った髪を見た時に分かってしまった。日本でじっくり考えたりしなくっても。あたしはロッシのことが、すごく好きだって。
ロッシがあたしのことを、ただの友達以上だと思っていたとしても、それはすごく気の合う友達、程度だろう。
ふと、ロッシが今恋をする気があるのかも、彼女が欲しいのかも知らないことに気付いた。
それに、あたしのことを今更そういう対象に見るなんて、絶対にないに決まってる。
そんなこと分かりきっているけど、きっとロッシのことを頭の中から追い出したり出来ないだろう。
思えば、あたしは受け身の恋愛しかしたことがない。
女らしくない、ってずっと言われ続けてきたあたしよりも、本当はミミコのほうが潔くて男らしいに違いない。
部屋に帰ると、ミミコが綺麗に畳んだ服をキャリーバッグに詰めていてくれた。
「おかえり、ロッシなんか言ってた?」
ミミコはきらきらと、期待を込めた目であたしを見つめる。
「べつによかったのに、って言ってたよ?」
あたしがそう言うと、ミミコの目がきょろきょろと泳いだ。
「ミミコ、あたしとロッシをくっつけようとしてるのは分かってるよ」
「う、チコ怒ってる?」
ミミコはしゅんと小さくなって訪ねる。あたしは勢い良くベッドに腰かけた。
「ううん、怒ってないよ」
「ほんとに?」
「うん。でも、ミミコが思ってるみたいにはうまくいかないよ」
「なんで? やっぱりチコはロッシのこと、好きじゃないの? あたしの勝手な思い込み?」
「ううん。好きだよ。ロッシのこと。友達としてじゃなくて」
「そうなのっ? そうだよねっ」
あっさりあたしが認めて、ミミコは驚いていた。
「さっき分かったんだよ。今までは自分でもよく分からなくて……でも、さっきわかっちゃったんだよね。ロッシのこと、ほんと好きだなって思った」
口に出して言ってみると、それはじんわりと胸に染み込んできた。
なんだか嬉しい。
「にやにやしてる、チコ」
ミミコが自分もにやにやしながらそう言った。
「で? じゃあなんでうまくいかないの?」
ミミコが不思議そうに言う。
「だから。もう教えるよ、ミミコ。前からミミコは勘違いしてるけど。ロッシはあたしのこと好きじゃないから。ただの友達だよ」
「でも、」
ミミコが口を挟もうとする。
あたしはもうどうしようもなくなって、ため息を漏らした。
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