ロックンロールとエトセトラ  
 

◆エピローグ

 
   
 主題歌 12月29日  イチコ
 

 ロンドンになんて来るはずじゃなかった。
 そんなのは20年間生きてきた時点では思い付きもしなかったことだったし、英語を話す自分なんて想像すらできなかった……。
  だけどミミコとモモに出会ってからの数年間、そして特にこの1年で、自分の価値観やこだわりががらっと変わってしまった。
 数年前、もしくは去年。ううんつい2ヶ月前ですら思い描けなかったかもしれない……自分がこんなにも穏やかな気持ちで毎日を過ごすところなんて。
「なに難しい顔してんの? 寝れねえ?」
 もう眠ったと思っていたロッシが眠そうなうぐいす色の瞳であたしを見上げていた。
「ううん、思い出してたんだ。今年1年で、いろんなことがあったなあって」
「うん。いろいろあったな……俺にとっては、すげぇいい年だった……ああ、すげえよ」
 ロッシはチェルシーにあるちょっと有名なギャラリーのオーナーに作品を気に入られて、来年頭にそこで個展を開くことが決まっている。
「そうだね。あたしにとってもいい年だったよ」
 フレディからは本当にちゃんと連絡が来た。
 それから突然詰まったスケジュールで4回ライブをして欲しいと言われた。
 もちろんあたしたちは即OKした。
 どこも今までより少し広くてお客さんのたくさん入っているところで、ジャイブレコーズからデビューしたばかりの、ペパーミントというバンドのオープニングアクトだった。
 彼らは気さくないい人たちで、それにポップで弾けるロックを演奏するかっこいいバンドだった。あたしたちはすぐに彼らのファンになった。
 ヴァージンメガストアでペパーミントのCDを見つけることが出来た時は自分たちのことのように興奮したし、リチャードに話してノーワンエルスにも入荷してもらった。
 そしてフレディはそのどのライブにも違う人を連れてきてあたしたちに紹介してくれた。

 ついに本当にあたしたちは夢への一歩を大きく踏み出し始めたらしい。
 リチャードはあたしに毎日のように契約を交わす時の注意や音楽業界の罠について話してくれる。
 リチャードのバンドが解散した理由は、レコード会社との契約条件に無理があったのと、お金のトラブルでメンバーが不仲になってしまったことが原因だった。
 あたしたちはその話を聞いて、もしも友情かビジネスか選択を迫られる時が来たら、迷わず友情を取ろうと固く誓い合った。
 アイ・スクリームフェスの話も着々と進んでいる。ブライトンの浜辺を使って行われるフェスティバル。
 3つあるステージの中であたしたちが出るのは、一番小さなステージだ。だけどもちろんそんなこと気にも止めていなかった。  もしもそれが会場の隅に置かれたビールケースの上だったとしても、あたしたちは気にしないだろう。

 フェスに出られる!

 映画『さらば青春の光』のあの場所で、きらきらと輝くまだ冷たい水を蹴ったり、浜辺で寝転がったりしながら音楽を満喫する人たち……そこで演奏する自分たち……それを頭に思い描くことを止めるなんて出来そうにない。
 潮風に当たった楽器がどうなるのかとか、後々ギターやベースが支障を来すんじゃないかとか、そんなこともちらっと考えたけど、どうでもいいと思えるくらいにあたしたちは舞い上がっていた。
 ときどき夜中に目が覚めた時に思う。小さく聞こえるロッシの寝息に耳を澄まして、あたしには寝息すら愛しいと思える人に会えたんだって。
 奇跡としか言い様がない。
 世の中には必ずぴったりと合う相手がいるんだってミミコが言ったのは本当だったんだろう。
 だとしたらあたしがロッシに出会うためにはロンドンに来ないといけなかった訳で、そうなる為にはモモとミミコに会って、その時ドラムを叩いていなければいけなくて。
 そう思ったらなにもかもが繋がっていて、全部が導かれた運命のように思えて来た。
 それならむかついたことにも悲しかったことにも全部なにかしら意味があったんだろう。
 あたしはなにか自分が見落としていたものに気付いたような気がして、いてもたってもいられなくてベッドで体を起こした。

 今なら分かる。
 今までミミコやモモやいろんな人に言われても半信半疑だったり聞き流したりしていたことが、急に分かってしまった。
「チー? どした? 寒いよ」
 あたしが起き上がったせいでロッシの上半身が布団から出ていた。
「ロッシ、あたしカルマが落ちたよ」
 ロッシを見下ろしてあたしはそんなことを口走っていた。
「あえ? なにそれ、なんの宗教だよ?」
 ロッシは慌てて体を起こした。ロッシの慌てようと自分の浮かれように思わず吹き出ししてしまう。
 『運命』だなんて。そんな言葉が生まれてから一度でもあたしの頭に浮かんだことがあっただろうか?
「なに笑ってんだよ? ひとりだけ楽しそうだな」
 ロッシはそう言いながらあたしのうなじにキスをして引き寄せる。
「ロッシ、今までのこと全部無駄じゃないんだよ? 後悔したことも悲しかったことも全部……必要だったんだよ?」
 あたしはロッシの胸に背中を預けて、今まで自分が幾度となく人から言われ続けていたことを自慢げに告げた。
「ああ? ああ……そうだ。そうだよな。そのおかげで今があるんだよな。だから、今チーとこうしていられんだ……もしかしたら俺たち出会わなかったかもしれねぇよな?……そういう可能性挙げたら、キリねえよな」
 ロッシの声が心地よく響いた。
「だから……よかった」
 ロッシはそう小さくつぶやくと、後ろからあたしをぎゅっと抱き締める。
 まるで祝福されているかのように頭に音楽が押し寄せてきて、あたしはそのイントロを口笛で吹いてみた。
「なんの曲?」
 ロッシはあたしの髪に手を通しながら聞く。そう聞かれて考えてみて初めてそれが中村一義の『主題歌』だと気付いた。
「日本のだよ。いい曲だから明日聞かせてあげるよ」
「ああ」
 あたしは自慢げにそう答えると、また始めから吹き始めた。
「なんだよご機嫌だな……ってか暗闇で笑いながら口笛吹くなよ。不気味だって」
 ロッシの笑い交じりの声が頭の上に響いて、あたしは笑った。

 なにもかもが最低で息苦しくて、まるで体にコンクリートを背負わされているようだった毎日……自分の居場所なんかなくて、なのにここ以外の場所になんて行ける訳がないと諦めて鬱々としていた。
 ただ強くスティックを振り下ろして、思いのたけをぶつけるしかなかった。
 ふたりが好きだと言ってくれたドラムだったけど、シェイカーズの頃の音源を久しぶりに聞いてみたら、ただ強いだけの乱暴なプレイで痛々しかった。

 こうやってこれからも、遠く過ぎ去ってからやっと気が付いたりして過ごして行くんだろうか。
 出来ればそうじゃないといいと思うけれど、きっとそんなに簡単には行かないだろう。
 だけど、それでもいいと今は思う。
 失敗したら、またそこで立ち止まって考えてみればいいんだ。
 そして、そこからまた歩き出せばいい。
 もうすぐ、あたしの変化と幸福に満ちたこの1年が終わる。
 だけど今のあたしには、来年はもっと素晴らしい年になるんだろうな、としか思えなかった。
 異様にポジティブな自分が笑えると思った。
「眠ぃよ。ほら」
 ロッシはまた横になると、あたしを待っている。
 その、あくびの涙に濡れたグリーンの目がたまらなく愛しい。
「うん」
 あたしは微笑んで、愛しい人の待つ温かい布団の中に潜り込んだ。

 

                               おわり

 
 

#10◆最後まで読んでくださってありがとうございました!◆

 
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