ロックンロールとエトセトラ  
 

12月 マイトビースターズ
might be stars/ WANNADIES

 
   
 #6 さかさま ミカコ
 

 アンディはあたしの手を強く握ったまま、フロアを横切って早足で歩き続ける。そのまま、ためらうことなくスタッフオンリーの扉を抜けて赤いライトで照らされた通 路に入った。スタッフ専用のバックルームに通じている通路で、今は全員フロアに出ているから、ここを通 る人は誰もいない。
 外の喧噪が嘘のように静かになった。熱気も遮断されていて、空気がひんやりと冷たい。
「どうしたの? アンディ?」
 急に立ち止まったアンディの背中に、あたしは不安になって声を掛けた。
 振り返ったアンディは無表情だった。何を思ってここへあたしを連れて来たのかぜんぜん分からない。だけどその顔は、どう見ても嬉しい顔には見えなかった。
 そこで初めてハっとした。
 アンディは、さっきフレデリックの口からイアンの名前が出た事で気分を悪くしたのかもしれない。
「……アンディ? 怒ってるの?」
 あたしを見下ろすアンディの頭上に赤い照明があって、アンディの顔は影になっている。
 あたしは急に泣きたい気持ちになった。やっぱりあたしはあの時、間違った行動をしたのかもしれない。
 だけどすぐに思い直した。あたしは有名になりたい為にイアンに近付いた訳でもないし、こうなることを予想してイアンとセックスしようと思った訳でもなかったはず。あの時はあれでいいと思ったし、それにあんなのはもう何ヶ月も前の話で、まだアンディとの間には何もなかった。
 だからあたしが今アンディに対して後ろめたく思う必要もないし、今アンディが怒っているんだとしたら、それは間違ってるんじゃないかな……って。
「あのね、」
 あたしは自分の考えをアンディに告げようと口を開いた。
 その瞬間、アンディに強く抱き締められてキスで口を塞がれた。あたしは驚いてただ突っ立っていた。
 そのうちにアンディはあたしの咽や首にキスをし始めて、今度はへなへなと座り込んでしまいそうになる。だけどアンディはしっかりと腕であたしを抱きかかえていて、逃がしてはくれない。
「アンディ、どうしたの? 変だよ」
 あたしはなんとかアンディのキスを避けてそう言った。
「分かってる……ミカコ、よかったな」
 アンディはくぐもった声であたしの髪に顔を埋めてそう言った。だけどそのよかったな、は心の底からの声には聞こえなかった。
「アンディ、ねえ」
 アンディはあたしをぎゅっと強く抱き締めた。
「ごめん……変なのは分かってる。けど、」
「喜んで、くれてないの? フレデリックが……イアンのこと言ったから?」
 あたしがそう言うと、ふっとアンディの力が抜けた。
 急に支えをなくしたあたしはアンディから2、3歩下がると冷たい壁に背中を預けた。アンディから離れてもまだ胸がうるさく鳴っている。
 アンディは打ちひしがれたように立ち尽くしていた。まるで自分のしたことが信じられないみたいに。
「アンディ?……あたしは正直……嬉しいよ。ほんとに心の底から。イアンとのことはもうずっと前のことだし、今となってはほんとにあんなことあったのかなって思うくらいになってる……イアンも結婚したし、今あたしにはアンディがいて。ずっと前からそうだけど、もうイアンの彼女になりたいだなんて思ってないよ。それに、最後に別 れた時あたし、イアンにまた会える? って聞いたのね。そしたら、ベースのアドバイスをしてくれて、きっといつか会えるよって言ってくれたの。あれは、もしかしたらこういう機会がきっとミルレインボウに訪れるだろうっていう意味だったんじゃないかなって思う……」
 アンディはだらんと両腕を垂らしたまま、あたしをみつめている。
「だから、あたしの、ううん、ミルレインボウのことがイアンの頭のどこかに残っていたって思うとやっぱり嬉しいし……フェスに出るのはあたしの夢だったんだよ……アンディ、喜んでくれないの?」
 あたしは自分が正しい事を言っているって思っているのに、アンディがそうだねって頷いてくれないだけで、不安になって泣きそうになる。
「アンディ……あたし、間違ってるのかな」
「いや、ミカコはぜんぜん間違ってない、」
 そこでやっとアンディが金縛りから解放されて、あたしをもう一度抱き締めた。だけど今度はさっきよりもずっと優しくて暖かかった。
「ミカコ、このことは誰にも言わないで」
 アンディの低い声があたしの頭に響いた。
「このこと、って?」
 顔を上げようとしたあたしの頭を、アンディは自分の胸に押し付けた。
「僕が……イアンのバカにやきもちを妬いて、いくらあいつに力や影響力があったって今僕らは愛しあってるんだって自分に証明しようとして……ミカコに襲い掛かろうとしたこと」
「え?」
 あたしはアンディが一体なにを言ったのか分からなくて、少しの間黙って考えていた。アンディの胸に付けた右耳に、速い鼓動が伝わって来る。
「アンディ。やきもち妬いたの?」
 その意味がちゃんと理解できた時、あたしは驚いていつもよりも高い声でそう言った。あたしが顔を上げると、アンディは顔を背けた。
「ちょっと、ちゃんと目を見て。アンディ。そんな必要ないって、知ってるよね?」
「…うん、うん。そのはずだった……でも、冷静じゃいられなくなって」
「アンディ、座ろ」
 あたしはアンディと冷たい通路に座り込んだ。あたしは膝を付いて立つとアンディの頭を包み込む。こうしないとあたしがアンディを抱き締めることはできない。
「ミカコ? 怒ってないのか?」
「なんで? 怒らないよ、そんなことで……いや、ちょっと泣きそうにはなったけど。でも、今は嬉しい。アンディ好きだよ。知ってるでしょ?」
「うん、知ってる……ごめん」
 あたしはアンディの髪を撫でながら、にやにやしていた。アンディがやきもちを妬くなんて……アンディはいつも冷静で、間違ったことなんかしないし、あたしを困らせることもない。いつだって迷惑をかけて泣きつくのはあたしだったはずなのに。今初めて立場が逆になっている。
 それでも、そんなアンディのことを少しも嫌になったり疎ましく感じたりしなかった。それどころか、もっともっと好きになった。
「ミカコ。本当はこんなことが言いたかったんじゃないんだ。僕はミカコがバンドに対してどのくらい真剣なのかも知ってるし、すごく努力してるのも、頑張ってるのも知ってる。誰よりもそれを分かってるつもりだった……だから、本当に僕だって嬉しいよ。これは嘘じゃない。それを一番に伝えないといけなかったんだ……それなのに」
「もういいって」
 いつになく落ち込むアンディがかわいくて、あたしは笑った。
「ミカコ。愛してる……ほんとにおめでとう」
 アンディは照れたようにそう言った。

 
 

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