ロックンロールとエトセトラ  
  第1章 オトメとエトセトラ-12  
   
    1999年 8月 イチコ   
 

 大学生になった初めての夏、アラシ君が変な曲を書き初めた。単調なリズム、単調なギター。あたしは延々と同じリズムを叩かされた。
 その頃対バンすると、必ずいくつかシェイカーズと似たようなバンドがいた。あたしは人からどんなバンドやってんの?と聞かれると、ちょっと歌ってみるだけで分かってもらえた。
 それに反対したムネは、ギターのカッティングが不揃いで甘い。とかいう理由で簡単にクビになった。
 あたしはかなりのショックを受けた。
 ムネはアラシ君の軽音部時代の後輩で、あんなにも信頼してアラシ君のことをいろんな人に自慢していたのに。
 その時初めて知った。シェイカーズのみんなは友達じゃないんだ。運命共同体でもない、仲間というよりも作業を共にしているだけで、至らない者は捨てられるんだ。

 ムネにかける言葉が見つからなかった。
 だって、次はきっとあたしだ。
「なあ、気晴らし付き合ってくれよ」
 昨日シェイカーズをクビになったムネから電話が掛かって来た。
 バンド内で唯一同じ年で結構気が合った。本当は昨日も今日も朝から夜までずっと独りでスタジオに入ってドラムを叩いていたせいで、両腕がだるさを通 り越してじくじく痛んでいた。だけどすぐに行くと答えて家を飛び出した。
 ムネが行きたがっていたのは、クラブで毎週やっているロックイベントだった。繁華街の脇道にある赤いライトで照らされた階段を降りていくと、分厚い鉄の扉が現れた。
「今日はおごりだろ?」
 ムネは笑顔でそう言うと、あたしが反論する前にその扉を開いた。
 中から一気に大音量の音楽が押し寄せて来る。
 ムネは受付を素通りしてあたしを指差した。結局あたしは二人分の入場料を払うことにした。
 本当は、居酒屋とかでとことん愚痴を聞かされるのかと思っていたから、このくらい安いと思った。ムネは昨日あんなことがあったのに、いつもと変わらず元気だった。
「ありがとイチコ、おっ俺の曲だッ」
 ムネはミッシェルガンエレファントの『ゲット・アップ・ルーシー』で人の群の中に消えて行った。ムネはクラッシュとミッシェルガンエレファントを崇拝している。
 あたしはバーでビールを買うと、ひとつだけ空いていた椅子に座って飛び跳ねるムネを見ていた。
 そのまま何曲か聞き過ごした。だけどすぐに体がうずうずし始める。
 曲がナインインチネイルズの『パーフェクト・ドラッグ』に変わった瞬間、一気にビールを飲み干して、フロアに飛び出した。
 低いベース音とバスドラが骨の芯まで届いて、あたしの体は少しずつ砕けて行く。
 その後、クーラシェイカー、ブラー、ウィーザー、ストーンローゼスと続いて、息が切れて心臓は短距離走でもしたみたいに速く鳴っている。
 この曲で最後にしよう、そう思う度にまた好きな曲のイントロが始まる。あたしは本気で苦しくて死ぬ かと思ったけど、もう体が止まらなかった。そうして何曲も踊った後、やっと曲がアンダーワールドに変わった。
 少し名残惜しかったけど、もうあたしには、少し好きな曲で踊る力は残っていなかった。フロアから引き上げてムネを探していると、バーでお酒を買っているのを見つけた。
「イチコ体力あるなあ、俺途中でギブした」
 そう言って笑いながらムネはビールを飲む。
「だって、びっくりするくらいあたしのツボだったんだよ、こんなに好きな曲ばっかりかかるなんて、ありえないってくらい」
 あたしはジーンズの後ろポケットに無理矢理詰め込んでいたハンドタオルを出して、汗を吹いた。
 あたしはムネから缶をもぎ取って、ビールを飲む。
「あれだよ、今のゲストDJ。あの人」
 ちょうどムネがフロアから出て来た人を指差した。
 その瞬間、ガチンッと何か固い物で頭を殴られたような感じがした。
 目から星が出た感じがした。
 その男の人は、まさにあたしの好みだった。長めの髪に、高い鼻も口角の上がった口も涼しい目元も、あたしよりも10センチ以上高い背も、猫背で歩くその姿も。
 たぶん、一目惚れだった。
「だよ、イチコ?」
「あ、ごめん何?」
 あたしは世界を遮断してその人だけを目で追っていた。
「あのさ、イチコはシェイカーズでずっとやってくつもり?」
「うん。今はそう思ってる」
 くびにならないかぎりは。そう言おうとして口をつぐんだ。
「俺はさー、正直もうムリだなーって思ってたんだ。アラシ君にはついてけないなあって。だから、実はもう次のバンド探してたんだよ」
「え?うそ、そうなの?」
「ああ。だから、俺クビにされてホっとしたんだ。抜けることなんて説明しようか考えてたし」
 そう言って、ムネはにっと笑った。
「なにそれっ、そうなの?じゃああたしなんでおごったのよ、ココ」
 ムネはケラケラ笑うと、またフロアに戻って行った。

   それから何時間か踊って、疲れたあたしは独りで店の上に涼みに出た。風が優しく肌を撫でる。ちょっとだけ、ゲストDJの川瀬さんのことを思い浮かべてみた。そしたら、また胸がぎゅっとなった。
 なんだろう?この気持ち。だってこんなのありえない。恋だってしたことがなかったあたしが一目惚れ?  そんなの自分でも笑ってしまう。 「タバコ持ってる?」
 背中から声を掛けられて、振り返ると……まさか。
「下に置いてきちゃってさ」
「あ、はい、どうぞ」
 あたしはおしりのポケットからぺちゃんこのタバコを出した。
「あ……潰れてる」
「いいよ。ありがとう」
 タバコをくわえた川瀬さんに、あたしはライターの火を差し出した。
 自然に手が出たけど、そんなことをしたのは生まれて初めてだったし、媚びたみたいで嫌な気持ちになった。
「君、いたよね?フロアの前の方。左側。体力あるよねー、さすが若いなと思ったよ」
 そう言って川瀬さんは少しだけ口の端を上げた。
 見てた? あたしを?
「あ、はい、だってあの、ほんとに、びっくりしました。曲、全部好きだったんです」
 心臓がずきん、ずきん、とうるさく鳴る。
「そうなんだ?そう言ってくれると嬉しいよ」
 あたしは、うまく喋れないでいる自分に気付いて、もっと恥ずかしくなった。

 頭がぽうっとなって、何を話しているのか自分でもよくわからなかった。

 
 

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