あたしが短大卒業を控えた頃、シェイカーズは、ワンマンでもライブハウスに200人集められる程の、ちょっと名の知れたミクステャーバンドに成長していた。
人からどんなバンドやってんの?って聞かれると、コーンとかリンプみたいなバンド、と答えていた。
そして、あたしはまだクビにならずにドラムを叩いていた。 その日のイベントはノンジャンルで、雑多な10このバンドが入り乱れていた。もちろんトリはシャイカーズで、その4つ前がミルレインボウだった。
昔からあたしたちの世話を焼いてくれていた、このライブハウスのオーナーの主催で、いろんなジャンルから彼の気に入ったバンドを集めたイベントだった。
男ばっかりの楽屋に、女の子はあたしと、そのミルレインボウっていうガールズバンドの2人だけだった。
普段滅多に女の子のいるバンドとなんて一緒になることはない。
あっても、あたしは話し掛けたりしなかった。女の子と話すのは苦手だ。
それに、彼女たちはその中でも特にあたしの苦手な部類の子たちだ。
そう思って、目を合わせることもしなかった。だけど、その彼女たちのオーラに引き込まれていたのは男たちだけじゃなくって。あたしはこっそりとふたりを観察していた。
ギターの子は、前髪を目のギリギリのところで切りそろえた髪の長い子で、フリルのついたキャミソールにふんわりしたスカートで椅子に座っていた。足にひっかけたミュールをぶらぶらさせている。
あれでギター弾くの?あのピンヒールでエフェクター踏める?
ベースの子は黒髪のショートヘアに濃い色の口紅を塗っていて、ピッチリしたランニングとブーツカットのジーンズで、床にあぐらをかいていた。立ち上がると、折れそうに細くて小さかった。
ふたりは、いわゆる巻き髪のOL系ではないけれど、ザ・女で、あたしの苦手なタイプなことに変わりはなかった。
こういう子たちを目の前にすると、あたしは自分の中に生まれた矛盾に苦しむことになる。
何もしないでも綺麗な子たちが、服や化粧でさらに完璧になる。
ほぼ素顔みたいな身だしなみ程度の化粧で、大きめのTシャツとリーバイスを履いた男みたいなあたしは、逃げ出したい気持ちになる。
じゃあ自分もそうすればいいじゃない、っていう問題とかではない。
あたしは元々そういう子たちを心の中で馬鹿にしてきたんだから。何時間も化粧や服を選ぶのに時間をかけて馬鹿みたい、って。
いじわるな気持ちじゃなくって、本当にそういうことをして何の意味があるのか分からないから。それは事実だ。
だって母はすごく美人で、未だに父に素顔を見せないように早起きして化粧をして、いつも笑顔を絶やさず、家事も完璧、ごはんをほんの少ししか食べないから、結婚当時と体重も変わっていない。それなのに父は浮気している。そのことは母もあたしも知っている。それでも笑顔を絶やさない。
馬鹿みたい。
「大丈夫?ミミコ」
トイレの個室に入っていると、誰か入ってきた。楽屋の近くにあるトイレだからお客さんじゃない。いたわる様な女の子の声。
「だめ、だめだよもう最悪っ、なんでサクさんあのバンドまで呼ぶの?」
サクさんっていうのは、オーナーのことだ。
「まあまあ、悪いのはサクさんじゃないよ、ドタキャンしたバンドが悪いんだから。ピンチヒッターらしいし」
どのバンドのことを言っているのかすぐに分かった。
「ちょっとミミコ、泣いてるの?だめだって、泣いちゃ」
「だってまさか会うなんて、一生会いたくなかったのに」
「だめ、化粧落ちるよ。泣いてたなんてバレちゃだめなんだから。いい?あいつを振ったのはミミコなんだから。無視してればいいの、ああっ、目こすっちゃだめっ」
もう1人の子は強い口調で言う。あたしは出るタイミングを逃して様子を伺っていた。だけどこれ以上話がややこしくなる前にここから出たい。
そう思ってトイレの水を流した。外にいる2人が急に口をつぐんだのがわかる。
「でも、本当はそうなる前に振っただけで」
「いいの、そんな細かい事は。今日だってミミコはかわいいんだし、ステージの上から見下ろしてやればいいのっ」
あたしが手を洗いはじめた時、ギターの子が熱弁を振るい始めた。泣いていたのはショートヘアのベースの子だった。2人ともさっき楽屋にいた時よりも子供っぽく見えたけど、やっぱりかわいかった。
それに比べて薄暗い蛍光灯に照らされたあたしの顔はみどり色で、何日も寝ていない人みたいだった。
「やっぱこのブラ変だっ」
ベースの子は自分の胸を掴んで、鼻を啜りながら嘆いた。そのポーズがおかしくて、あたしは思わず吹き出してしまった。
ギターの子と目が合う。
「ごめん、そのポーズが」
あたしは、失恋話の最中に笑ってしまったことを気まずく思いながら、弁解した。
「え、あ、ほんとだっ、ミミコなんて格好してんのよっ?」
その子も笑いだした。
「だって、こんなオイルパッド入りのブラ、馬鹿みたいじゃないっ」
「なんで?いっつも付けてるくせに」
「だけどっ、体はあいつ知ってるわけで」
ベースの子は表情をくるくる変えながら、嘆く。
2人とも楽屋にいた時の近付き堅い雰囲気とは別人みたいだった。
それでも、寝たとかどうとか、そんなややこしい話しは聞かない方がよさそうなので、あたしはTシャツで手を拭くと、さっさとトイレを出ようとした。
「ね、シェイカーズの人だよね?」
背中に声をかけられて、ドアの前で振り返った。
「ドラム、すごい、すっごいかっこいいね」
そう言ったのは、まだ目に涙を溜めたままのショートヘアの子だった。
「えあ、ほんと?ありがとう」
あたしは急にそんなことを言われて、口ごもってしまった。
「あたしもそう思った。鳥肌モノだったよ」
ギターの子も口を揃えて言う。こんなふうに面と向かって褒められたのは、いつだったか思い出せないくらい前のことだ。
あたしは2人になにか言いたかったけど、夕食に出かけていてミルレインボウのリハは見ていなかった。
その時、なんでそんなことが口をついて出たのかわからない。
「ねえ。本当にかわいいし、スタイルもいいんだから。ステージから中指立ててやればいいよ」
あたしは笑いながらそう言うと、トイレのドアから出た。
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