ロックンロールとエトセトラ  
  2月 コンシダレイション
consideration/ REEF
 
   
  #9 アンディ・ソーン ミカコ
 

 この人に?  あたしのことを話すの?
 あたしはアンディを観察した。肩までのぼさぼさの髪の間で光る黒ぶちめがね。その奥の目は優しそうで、少しドロシアの強くて優しい眼差しと似てるような気がする。
「話したくなければ、いいんだ」
 彼はあたしの視線を避けるようにカップに目を落とすと言った。

「あたし……」

  昨日のことを話し始めた。ももちゃんでもチコでもなく、どうしてこんなほとんど知らない人にこんなプライベートなことを話しているのか、自分でも理解できない。
 話していると、また涙が沸き上がって来て、何度も言葉に詰まってしまう。それでもアンディは辛抱強く、まゆをぴくりと動かす程度で、あたしの話を聞いていた。
「ねえ? どうしてイアンは途中でやめちゃったの? そんなこと、できるものなの?」  あたしはアンディに助けを求めた。彼は何かを考えている。
「君は、そういう、子なの?」
「そういうってどういう?」
「あの、つまり、」
 アンディが何を言おうとしているのか、あたしにはさっぱり解らない。
「君は快楽主義者なの?」
 その言葉を噛み下すのに、少し時間がかかった。
 ……それって、あたしに軽い女だね、って言ってるんだよね。
「アンディ、今はその冗談きついよ」
 あたしは笑ってなんとか乗り切ろうとしたけど、彼は笑わなかった。
 冗談じゃないんだ。
「どうして、そんなこと言うの?」
「いや、ただ聞いてるだけだよ」
 その表情で、彼がただ訪ねているだけだとわかる。あたしはそのまっすぐな視線を避けたくてうつむいた。
「そんなんじゃないよ……あたしはただ。ただ、イアンと繋がりたかっただけ……あたしでも受け入れてもらえるって、実感したかっただけなの」
 でも、イアンはそうしてくれなかった。
「本当にそれだけ? それだけでよかったの?」
 アンディはまた質問する
「それは……本当は彼女になりたいし、憧れの彼のそばにずっといれたらって思うけど……でも、そんなの無理だもん」
「どうして?」
 アンディは真顔で聞き返してくる。ノーキングやイアンのことを、あんまり知らないのかもしれない。
「だって、彼はスターだよ? あたしなんてただの熱狂的ファンだと思われてるだろうし」
「そう思われて、当然だろうね」
 アンディの言葉に、また傷ついた。あたし、なんでこの人にこんな話したんだっけ?
「君は、自分からそう思われるように仕向けてるんじゃないの?」
「どういう意味?」
 あたしにはほんとうにアンディの言っている意味がわからない。
「例えばさ、こんなふうにお茶を飲みながら話して、音楽や君自身について話したいとか。彼がそう思っていたとは、少しも考えられないのかな」
「そんなの。ありえないよ、少しも考えられない」
 これは断言できた。だってあの状況で、彼がセックス以外の事を考えてあたしを部屋に連れて行ったなんて、考えられない。
「それに、あたしなんか、こんな凡人で、ただのいちファンだし」
 やっぱり、出会うのが早すぎたんだよ。ももちゃんには偉そうなこと言って来たのに。ばちが当たったんだよ。
「僕は、あたしなんか、とか言う人を見ると腹が立つ。そんなことないよって肩をやさしく叩かれたい為にそういってるじゃないのかな、ってさ」
 アンディは同じ表情のまま続ける、あたしはショックでなにも口を挟めずにぼーっとしていた。
「だいたいさ、君の憧れの彼が女の子を部屋にそれだけの目的で呼ぶ奴で、君もその中の一人として捨てられたかった、っていう考えにも賛成できないし、そもそもそんな奴のどこがいい訳? 確かに彼の曲やプレイは素晴らしいと思うけど、それと人間的なものは別 なんじゃないの? それ以前に、君が信じてきた人なら、ただのプレイボーイだとか、そんな簡単に割り切れるものなの?」
 あたしは、そのアンディの攻撃の間、ただ彼の唇を見つめていた。
 口角の上がった綺麗な形。その形を歪めることもなく、あたしに向かってとげとげしい言葉を吐く。
 だけど、あたしがそう感じているだけで、彼は攻撃してるつもりなんかないんだろう。だから、こんなにも口調は柔らかい。それでも、あたしはもう充分に傷ついている。
 だけど彼が言っていることは、間違ってないってことも分かっている。
 でも、あたしアンディに意見なんか求めたっけ? 初めの質問にも答えてもらってないような気がする。
「なんで、そんなにもずばずば傷つくことばっかり言うの?」
 今度はアンディの眉間にシワが寄った。
「話したのは君じゃないか」
「聞いてくれるって言ったのはアンディじゃない」
「そうだよ、だから聞いたよ、」
「でも、だからってそんなに傷えぐらなくてもいいでしょ?あたし、あたし、」
 あたしはなにを言おうとしたんだっけ、えっと。
 頭にカッと血が上ったものの、一体なにが言いたかったのか分からなくなっていた。昨日からあたしにとって重大なことがたくさん起こりすぎて、考える容量 はとっくに超えてしまっている。
「もういいよっ、分かってる、アンディが言ったことは間違ってないっ、」
 もうあたしの負けだった。
 その時、アンディは思いがけず笑い出した、それも声を出して。
「なんで、今笑うとこ? ちょっと、何?」
「いや、ごめん、意外でさ。素直なんだね」
 アンディはまだ笑いながら苦しそうにそう言った。
「そんなに笑わなくてもいいでしょっ、もう用は済んだよねっ」
「ああ、帰るよ」
 アンディは席を立つ。そのついでか、あたしにティッシュボックスを手渡した。
「ほら、顔ぐちゃぐちゃだよ」
「アンディがいじわるなことばっかり言うからだよ」
 あたしはそう言いながら鼻水と涙をティッシュで拭いた。
「僕がキッチンへ行った時には、もうその顔だったよ」
 アンディは、また笑う。いちいち正しいところがちょっとムカつく。
「あ、そうだ。質問の答えね。僕は初対面の子とベッドインするなんてもうしないけど。そういうのは空しいだけだし。だけど、もしもミカコに裸で迫られたら、我慢なんてしないよ」
 また無表情に戻ったアンディはさらっと言ってのける。さらに、なにも言えずにソファに座ったままのあたしの前を通 過して、彼はこう言った。
「ノーキングのイアン・ハミルトンは、できないって言いふらす?」
「何言ってるのっ」
 あたしはその背中にクッションを投げ付けた。
「じゃあまた」
 そう言ってアンディは振り返らずに部屋を出て行った。ドアの閉まる音がして、あたしはソファに座り直した。  
  また部屋が静寂に包まれた。

 これでもう一度ゆっくり一人で考えられる。
 そう思ってみたけど、もうさっきまでみたいに気持ちは沈んでいなかった。
 腹が立ったり傷ついたり忙しくて、なんとなく、あたしは元気になったみたいだった。変なの。
 だけど彼に新たに傷つけられたはず。
 それなのに、最後の冗談で、それさえ愛ある助言だったように思えて来た。
 不思議。カップに残ったカモミールティーを飲み干すと、シャワーを浴びることにした。
 バスタブにお湯を溜めて、ローズマリーとユーカリのオイルを入れてしゃきっとすれば、ちゃんと仕事に行ける。

大丈夫。

 
 

#8#10

 
  もくじに戻るノベルスに戻るトップに戻る