ロックンロールとエトセトラ  
  第1章 オトメとエトセトラ-2  
   
  1996年   5月 キタモトモモカ  
 

 その日ホームルームが終わると、先輩は本当に教室まで迎えに来た。

 入学して一ヶ月で、クラスはもう打ち解けていたけれど、あたしは完全に距離を取って孤立していた。もちろん、自分からそうしていた。
 同じ中学の子が行かないような高校へ進学を決めたのも、友達を作ろうとしないのも、同じ理由からだった。
 あたしはあれ以来……お兄ちゃんがいなくなってしまってから。なるべく人と深く関わり合わないようにしようと固く誓っていた。もう誰かを信じて失ったりしたくはなかった。

 あたし恐かった……時間をかけて一生懸命遠ざけて、やっとそれに慣れて来たはずだった。  それを今、先輩がこじ開けようとしている。
 彼がなにを見せようとしているのか、全く見当が付かずに怯えていた。もしかしたら、その一撃であたしはこなごなに砕け散ってしまうかもしれない。
 だけど、もしかしたら彼なら答えをくれるかもしれない。
 あたしがずっと知りたかった答えを。
 先輩と一緒に教室を出るあたしを、何人かの女子が羨ましげに見ていた。だけどなんの優越感も感じなかった。

 あたしは口をきゅっと強く結んで先輩の後をついて歩いていた。
「ごめんな、急で。約束とか用事とかなかった?」
「はい、大丈夫です」
 約束するような友達もいないし、アルバイトは親に禁止されている。
 あたしは緊張してほとんど話せずにいて、そのせいか先輩も無口になっていた。  あたしの予想とは違って、彼はどこか店に入る訳でもなく校門を出ると駅と反対の方向に向かって歩き始めた。
 あたしは速い先輩の足取りに遅れないよう、ただ半歩下がって歩いていた。

「ここから入って」
 15分ほど歩くと、古めかしい料亭のようなたたずまいの日本家屋に着いた。先輩に言われた通 りに勝手口を抜けると、苔むした岩が所々に見える庭が広がっていた。外のアスファルトの通 りとは全くの別世界だった。
 少し歩くと離れと呼ばれていそうな小屋があって、そこが彼の部屋だった。小さな松みたいな木の向こうに、日本家屋の大きな母屋が見える。
 そして先輩が引き戸の扉を開くと、また別世界が広がっていた。
 そこはまるで映画に出てくるアメリカのティーンエイジャーの部屋だった。
 あたしは言われたままに靴を脱いで部屋に上がると、どうしていいのか分からずに、扉の近くにちょこんと座った。
「ちょっと待ってて」
 そう言うと先輩はあたしを部屋にひとり残して出て行く。
 きっと、あたしに見せたい物を取りに行ったんだろう……部屋をゆっくりと見回しながらそう思っていた。

 壁には雑誌の切り抜きにポスター、ラックに収まりきらずに横積みで溢れそうになっているCD、レコード。部屋の隅に立てられた何本かのギター。
 そのうちの一本が目に入った時、あたしははっと息を飲んだ。
 カーペットを這うようにしてそこへ近付いて行く……見間違ったりする訳が無かった。真っ黒で艶のあるボディ。そのギターは今もあの時と同じように蛍光灯の光りを受けてぴかぴかと輝いていた。

 何度も鍵を掛けて閉じ込めたはずの思い出が、みるみうちに膨れ上がって、あっと言う間に体中をうめ尽くす。
「おにいちゃん、ただの黒なんてつまんないよ、かわいいステッカー持ってるよ、貼ってあげようか?」
 せっかく親切でそう言ったのに、お兄ちゃんは飛びかかりそうなほどの勢いで走って来た。そしてそのギターのかっこいい所や、お兄ちゃんがそれを買う為にどのくらいがんばってバイトをしたかを切々とあたしに話して聞かせた。
 あたしはそのギターに触っている時のお兄ちゃんが大好きだった。ほんとうに楽しそうでかっこよくて、自慢だった。

 ……これは、お兄ちゃんのギターだ。
「ももかちゃん」
 いつのまにか先輩は部屋に戻っていた。
「……気付いたんだ」
 そう言うと、あたしの隣に座った。
「見せたい物って、これだったんですか」
「うん。そうだよ……でも、それだけじゃない」
 先輩は目を細めて微笑んだ。あたしにも分かった。
  このギターだけじゃなくって、きっとこの部屋全部をあたしに見せたかったんだ。この部屋はすごく懐かしい匂いがする。お兄ちゃんの生きていた、お父さんとお母さんが全部粗大ゴミにしてしまう前の……
 きっと、あたしも知らなかったようなお兄ちゃんの物もたくさんあるんだろう。
「ヨウスケさんの葬式の後、1週間くらいしてから、借りてた物がいくつかあることに気付いて、迷ったけど返しに行こうと思ったんだ……そしたら、その道の途中のゴミ置場でたくさんヨウスケさんの物を見つけて。意味は分かんなかったけど、でも……俺が持って帰らなきゃって思ったんだ。それで、そのまま抱えられるだけ抱えてここへ運んだんだ。3往復もしたよ」
 そう言って笑う先輩の顔に、初めてなつかしい面影が見えた。
 ……あたし、このひと知ってる。
 でも、思い出せない。
「大丈夫?」
 先輩は何枚か掴んだティッシュを差し出した。
 その時まで、あたしは涙が出ていることにも気が付いていなかった。
「ほら」
  先輩にされるがまま、頬と鼻をティッシュで拭われながら、あたしはずっと考えていた。
 ……イナモリセイジ。セイジ。 「セイくん?」
 その時やっと、はっきりと彼が一体誰なのかが分かった。

 お兄ちゃんの部屋にはいつもバンドのメンバーや彼を慕う後輩が集まっていた。その中で一番年下だったセイくん。
 あたしはよくセイくんについて、コンビニまで買い物に行っていた。
 彼は2年見ないうちに、あたしが知っていた太陽の匂いがする男の子ではなくなって、すっかり男の人になっていた。
 よく見ると面影があるけど、まるで別人だった。
「今思い出したんだ?」
「うん」
 セイくんが笑うと、つられてあたしも笑った。
  セイくんの笑顔はあの頃のままだった。鼻に皺をよせて笑う、あの笑い方だ。
「ひどいなー俺はももかちゃんが入学してきた時、すぐに分かったよ。変なでっかいめがねかけててもさ。ずっと……いつ声かけようか考えてたんだ」
 中学3年生からどんどん視力が落ちて、高校に入る頃にはおしゃれでもなんでもない格好悪いめがねを掛けていた。
「今はコンタクトなんだ?」
 あたしは首を振った。
「え?見えてる?」
 セイくんは前と変わらない優しい話し方で言う。
誰なのか分かった途端、イナモリ先輩はもうセイくんでしかなくなった。
「授業中は、めがねかけるよ。あれとは違うのだけど」

 格好悪いめがねが嫌で外してみたら、世界は前よりずっと優しくなった。
にじんでぼやけて。そこにあるのか無いのか本当には分からない。なにもかも、本当にあると思い込んでいるだけなのかもしれない。
 だけどそんなことどうでもいい。だって、どうせ消えちゃうんだからみんな。
「告別式の後、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんのことを無かった事に、いなかった人にしようとしてるみたいだった。ポスターもCDも楽器も、全部お兄ちゃんが大切にしてた物は捨てちゃったの。部屋にはね、今も鍵がかかってる。家ではお兄ちゃんの話はしちゃいけないの。ねえ、セイくん……お兄ちゃんはどうして死んじゃったの?」

 ずっと誰かに答えて欲しかった。なにかあたしが納得できるような理由を。

 
   
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