ロックンロールとエトセトラ  
 

4月 サヨナラカラー
サヨナラCOLOR/ super butter dog

 
   
  #11 サヨナラCOLOR イチコ
 

 恐くて恐くてしょうがない。だけど、あたしは決めた。
 ちゃんと自分で終わらせようって。
 どうせ今さら迷惑がられたって、来週には川瀬さんは極東の日本に帰って行くんだから。だからなんにも怖がることなんてない。
 一日中そのことを考えていた。
 それを少しでも楽にしようと、今日はいつもの3倍は働いた。何時間もかけて店の隅々まで掃除した。

 やっと営業時間が終わると、リチャードにさよならを言ってから店を出た。
 これから、あたしは電車に乗って、ソーホーのあのホテルに向かう予定……だった。
 なのに……。
 あたしはドアを出て固まってしまった。
 前の通りのガードレールに、川瀬さんが腰掛けていた。彼はあたしに気付くとこっちに向かって歩いて来た。
「川瀬さん……どうして?」
「ここで待ってるしか、会える方法がないと思ったんだ」
 その言葉を聞いただけで、もうあたしの目は曇った。昨日から涙腺が弛んでしまっている。
「お茶でも、飲みに行く?」
 あたしはそう言った。近くに24時間営業しているカフェがある。
 『カフェ・ミンディ』に入ると、川瀬さんはカプチーノを、あたしはカフェラテを買って席を探した。火曜日の夜でほとんどお客さんはいない。でも、どこも居心地がよくなさそうに見えて、ソファの間をぬ って歩いた。川瀬さんは後からついて来る。
 やっと一番奥にスリーシーターのベンチを見つけてそこに決めた。
 ふかふかのカップルシートはなんか違うと思った。
 あたしたちは少し間隔を開けて座っている。

 少しの間、お互い口を開かなかった。でも、あたしは考えていた。どうして川瀬さんはあたしに会いに来たんだろう?
「どうして、昨日黙って帰ったんだ?」
 どうして? どうしてって……嘘はやめよう。そう思ったら、何て言えばいいのか分からなくなってしまった。あたしはこうやってずっと川瀬さんに本音を隠そうとばかりしてきたんだ……それじゃまたくり返しになってしまう。
「なんだか……前を思い出して。すごく苦しくなったから……だから、逃げて来た」
 長い沈黙の後、あたしは勇気を振り絞って口を開いた。
「逃げた?」
 川瀬さんは、不思議な物でも見るようにあたしを見つめている。今しかない。
「あのね、川瀬さん……今さらこんなこと言ってもしょうがないって分かってるけど。でも聞いて欲しいことがあって」
「うん」
 川瀬さんはまだじっとあたしを見つめていた。
「あたし。ずっとずっと。本当に川瀬さんの事が好きだったよ。一度も口に出して言わなかったけど。本当に好きだった。本当はすごく嫌だった、セックスだけの関係みたいになってることが。もっと、川瀬さんといろんな物を見たり、いろんな所に行ったりしたかった。でも、川瀬さんがそんなこと望んでないってことも分かってたの。だから、本当はぜんぜん平気じゃなかったけど、それでも一緒にいられるならいいって思ってた。でも……そんな自分のことが嫌いだった。だから、川瀬さんと一緒にはいちゃいけないって思った。だから逃げたんだよ。こんなに遠くまで」
 川瀬さんは黙っていた。なにを言ってくれるって、期待してた訳じゃない。
 でもやっぱり黙られると逃げたくなる。
「本当に……駄目だな」
 川瀬さんが小さく呟いた。
「え?」
「俺には、イチコちゃんが眩しかったんだ……あの頃。俺はこの先どうして行けばいいのか悩んでた。DJって言っても、同じ歳のサラリーマンとかと比べたら収入なんてないも同然だったし、このままでいいのかよって思ってた。イチコちゃんは若くて、これからで。俺……本当に好きだったよ。イチコちゃんの事。本当に大切だった」
 涙が頬を伝うのを感じた。
「だけど、俺には君と一緒にいる資格なんてないんじゃないかって思ってた。本当に、イチコちゃんは、ちゃんといろんな事をよく考えてたし、若くて、かわいくて。俺の彼女だ、ってみんなに宣言したかったよ」
 川瀬さんはあたしの目を真直ぐに見てそう言った。
「じゃ、どうして、」
「でも、そんなことできないって思ったんだよ。俺には出来なかった。眩しくて、汚しちゃだめだって、そう思ってた。俺は卑怯だよ……君が離れて行くのを待ってたんだ。きっとそのうち愛想つかして離れて行くって思ってたから。俺からは……手放せなかったんだ。そしたら本当にそうなった」
 川瀬さんは少しだけ口の端を上げたけど、笑っているようには見えなかった。
「そんな……」
 胸がぎゅうぎゅうに潰れそうになる。
「そんなことないよ。初めて見た時から、川瀬さんはあたしにとって憧れだった。川瀬さんだけがあたしの話を馬鹿にせずにちゃんと聞いてくれた。あたしがお父さんと揉めた時だって、いっつもあたしの話聞いてくれたよね? だから……だから好きになったんだよ? なんで。言ってくれなかったの?」
「ごめんな。結局はそのせいで、よけいに苦しめたんだな……」
 川瀬さんは悲しげに微笑んだ。だけど悪いのは川瀬さんだけじゃない。
 あたしたちは、とんでもない回り道をしていた。
 あたしはずっと、川瀬さんのことをものすごく大人だと思っていて。だから、見えていなかった。川瀬さんも苦しんでいたなんて。
 急に、川瀬さんを身近に感じた。すごく大人じゃなく、一人の男の人として。
 あたしは涙を拭った。
「今日、どうして来てくれたの?」
「どうしてだろう……ちゃんと会って話したかったんだ。たぶん、今言った事を。イチコちゃんとのことは、どこか終わってないような感じがしてた。だから……」
「ちゃんと終わらせに来たんだね」
 そう口に出してみても、もう悲しくなかった。そして気付いた。
 さっきからあたしも川瀬さんも、好きだった、って過去形で話していたことに。
「それから……礼もちゃんと言ってなかったな、って思って」
「お礼?」
「ああ……俺さ、今レギュラーイベント毎月4つと隔週のを1つ持ってるんだ。客入りも結構よくて……雑誌にもいくつか記事書いてる。ほんとに前よりずっとよくなったよ。イチコちゃんが離れた後、聞いたんだ。本当にロンドンに行ったって。俺も頑張ろうと思った……だから。ありがとう」
「あたしも……ありがとう」

 嬉しかった。
 本当に心の底から。
 あたしたちは、もう少しだけ話した後、一緒に店を出て、最後にしっかり握手をした。
 そして、別々の方向へ歩き出した。

 
 

#10#12

 
  もくじに戻るノベルスに戻るトップに戻る