ロックンロールとエトセトラ  
 

4月 サヨナラカラー
サヨナラCOLOR/ super butter dog

 
   
  #2 スターの結婚 ミカコ
 

 イアンが結婚した。その上奥さんになった人のお腹には彼の赤ちゃんがいるらしい。
 タブロイド紙にも載っていたし、MTVニュースでも見たけど、まだ信じられなかった。
 チコがロッシから聞いた話で、どうしてイアンがあたしを受け入れてくれなかったのかが分かった。実際の所はどうなのか分からなくても、そう信じたいと思ったし、別 れ際にベースのアドバイスをしてくれたから、もしかしたら本当にそうだったのかもしれないと思った。
  それにそう思えばあの一件が自分なりに整理できる気がしたし、勘違いでもなんでもそう信じたかった。
 あたしはまた、イアンの場所に近付く為に努力しなくちゃ。
 そう思って今までの倍は練習するようになった。

 イアン、結婚しちゃったんだ。
 もちろんあたしは、またイアンに近付いて彼女になりたいなんて考えていた訳じゃない。だけど、あれからたった2ヶ月で結婚しちゃうなんて。
 もしもあの時イアンと体を重ねていて、もしもあたしが妊娠したとしたら、彼と結婚してた可能性もあるのかとか……だけどそれ以前にセックスすらしてくれなかったんだから、そんな可能性はやっぱりないんだな、とか……。
 あたしは、気持ちの中のもやもやをどうすればいいのかわからなくて、朝からずっとため息ばかり繰り返していた。
 誰かに話したかったけど、あたしが寝坊して起きた時にはもうチコは仕事に出かけていたし、カレンダーを見て初めて、今日がももちゃんにとって一年で一番つらい日だと気付いた。

 毎年、この日にはももちゃんと連絡が取れなくなる。あたしはももちゃんの気持ちを推し量 ろうとするけど、きっとあたしにそれがわかる日なんて来ないだろう。
 特に、同じ家で過ごす今年は特別に思えた。
 ずる休みなんて絶対にしたりしないももちゃんが、仕事を休んで、部屋から出てこない。
 泣いてるのかもしれない……そう考えると、あたしも泣きたくなった。だけどそんなことをしてもきっとももちゃんには迷惑だろう。
 ももちゃんの悲しみに比べたら、自分のもやもやなんて、ほんとうにちっぽけだと思う。

「あーあ、寂しい」
 あたしの声は、誰もいないリビングに空しく響いた。
 遅番で午後4時出勤の水曜日。最近は特にドロシアが来てくれるのが嬉しい。
 ドロシアと話していると、心に溜まったとげとげが少し癒される感じがする。
 ため息を飲み込むと、ポストイットだらけのペーパーバックに目を戻した。
 あたしの大好きな作家、A・J・デクスターの最新作。彼はSF作家の巨匠で、日本にいた頃から彼の小説の大ファンだった。こっちに来てみると、日本では未発表の作品がいくつもあって、あたしは本屋でその背表紙たちを撫でてニヤついた。
 だけど、英語での読書力は小学生以下で、あたしは何度も何度も辞書を引いて、文章にペンで線を引いたり、メモを書き込んだりしなくちゃ読めない。
 その上、彼の小説には特種な用語や造語がたくさんあって、訳した所で、元の文章と同じなのか、定かじゃない部分がたくさんある。
 3ヶ月たっても、まだ半分も読めていない。
 それに2週間前のスナッグでのライブを最後に、この先の予定は何もなくなってしまった。それでも金曜日にはスナッグでイベントがあって、いくつものバンドが出演する。明らかにあたしたちよりもお客さんをたくさん連れてくるバンドだ。それに、どのベーシストもあたしとは比べ物にならないほど上手だった。

 ジェフリーチューブでデモがいくつか売れたみたいだけど、特になにも反応はなかった。それにあの店のオーナーはちょっと冷たい感じで、どんな人が買ってくれたのか、とかいろいろ聞いたりできる程仲良くなれそうになかった。
 チコがティムから聞いた話では、ジェフリーチューブはマニアックな若者がたくさん集うお店で、カルチャー発信地の一つになっているらしい。
 あたしたちはそうとは知らずに、そんなお店にカセットを置いてもらえることが出来ていた。それでも、毎日悶々としているあたしたちは、喜んでばかりはいられなかった。

 不安でいっぱいだった。

 今度は飲み込みきれずにため息が漏れた。ちょうどその時チャイムが鳴って、あたしは本を伏せて玄関に向かった。
「どうも」
「アンディ、あれ、ドロシアは?」
 ドアを開けるとアンディが立っていた。
「急にうちに友達が来たから。代わりに僕が来ることにしたんだ。久しぶりだね」
「うん。そうだね。入って」
 アンディとはあれから会っていなかった。ドロシアのグラストンベリー旅行は思ったより早く終わって、次の週にはいつもどおりにドロシアが来た。
「これ、祖母から」
 アンディは紙袋を手渡してくれる。中を覗いて見ると、ドロシアお手製のチェリーパイが入っていた。
「やったあ。これ大好きなの。一緒に食べる?」
「ああ。じゃあ後で、先に掃除済ませてくるよ」
 アンディは少し笑うと階段を上がって行く。
 あたしはハッとした。
 あたし何アンディになついてるんだろ。初対面は最悪だったのに。
 だけど、あの日言われた事を、自分なりに何度も繰り返し思い出して考えてみた。そうしたら、すぐにアンディに対する気持ちが変わった。
 言う事は厳しいけど、本当は優しい人なのかもしれない、と思い直したから。

 
 

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