ロックンロールとエトセトラ  
 

4月 サヨナラカラー
サヨナラCOLOR/ super butter dog

 
   
  #4 長寿と繁栄を ミカコ
 

 パイと、レモンティーを持ってリビングに戻ると、アンディはまだデクスター氏の本を手に取っていた。
「本当に、すごく熱心に読んでるんだ?」
 アンディは前の方のページをめくって言う。
「そうだよ、もう見ないでよ。こんな単語も分からないのか? とか思ってる? もしかして」
「思わないよ、そんなこと」
 アンディは笑う。
「それよりもさ……元気でよかった」
「え?」
 突然で、あたしは何のことを言われているのかわからなかった。
「ニュースでも、やってたし」
 ああ……イアンのこと。
「うん……正直、すごく変な感じなの。あれから、理由が分かったの。彼がどうしてあたしを帰したのか。気に入ってくれたみたいなんだよね、デモテープを。それが理由だったみたい。なんだろ、遊ぶだけの女にする訳にはいかない、ってことだったのかな……だとしたら凄いよね。それで、一応気持ちの整理はできたんだけど。でも……たった2ヶ月しか経ってないのに。まさか結婚だなんて。そんなのないよっ」
「ああ。それはないよな」
 アンディは眉間にしわをよせて同意してくれる。
「あたしが部屋に行った時にもう彼女がいたのかな、とか。それともその後に知り合ったのかな、とか。やっぱりあたしじゃだめだったんだな、とか。色々考えちゃって。だからなんか、」
「ミカコ」
 アンディの方を向くと大きな手が伸びてきて、あたしの頭をぐりぐり撫でた。
「泣けば? さっきからずっと泣きそうな顔してるよ」
「え?」
 そう答えた瞬間、目の前が曇った。
「すごいね。一瞬だった」
 アンディは面白そうに言う。
「なんか腹立つ」
 そう言ってあたしはアンディの肩をバシっと殴った。
「ごめんごめん」
 そう言うとアンディはあたしの後頭部を手のひらで掴んで、あたしの濡れた顔を強引に自分の肩に押し付けた。あたしはされるがままでいた。
「よしよし、」
 面白がるような声が聞こえたけど、もう腹は立たなかった。
「だって、もうどうしていいのか分からなくって。すごく悲しい訳でもないし、怒るのもなんか違うし、でも、気持ち悪くて。ぜんぜんすっきりしなくて」
「ミカコは、きっと悲しかったんだよ」
「そうなのかな」
「だから悲しそうな顔してたんだ」
 そう言われると、そうなのかもしれないと思った。

 アンディには言わなかったけど、ほんとはイアン以外のことも考えていた。もしもこのまま何も成し遂げられなくて、イアンどころか、ロンドンにもいられなくなってしまったらどうしよう。
 だけどそんなことで泣いたなんて、ももちゃんにもチコにも絶対に知られたくなかった。
「大丈夫だよ。きっとうまくいくから」
 頭の上で、アンディの重低音の声が響いた。
「え?」
「大丈夫だよ。今はついてないだけだよ。きっとうまくいく」
 アンディは無責任にもそう言った。だけどその顔は真剣そのもので、冗談ぽく言っている訳じゃなかった。
「ほんとにそう思う?」
 あたしは鼻をすすってそう聞いた。
「ああ。絶対。あきらめたりしなければ」
 アンディはめがねの奥のブルーグレーの目で、あたしの目をしっかり見てそう言った。ただの気休めだとしても、それは今のあたしが本当に欲しかった言葉だった。
「ありがとう」
「別に、気休めで言ってる訳じゃないから」
「……うん」
 あたしはアンディになにもかも見透かされているような気がして、どきどきした。
 その時、上の階からギターの音が小さく聞こえて来た。

 ももちゃんがギターを弾いている。
 そう気付いた瞬間、止まりそうになっていた涙がまたどっと溢れだした。自分でもどうしてなのか分からなかった。
  ただ、ももちゃんや、ももちゃんのお兄ちゃんのことを頭に浮かべただけでそうなってしまった。
「誰かいるんだ?」
 アンディが頭の上で呟いたけど、それに答える余裕がないくらいだった。
 アンディは黙ったままずっとあたしの背中を撫でていた。
 どのくらい泣いていたのか。
 やっと鼻をすする余裕が出てきてティッシュで顔を拭くと、ほとんど知らないアンディにしがみついて子供みたいに泣いてしまったことが、すごく恥ずかしくなって来た。

「あの、ありがとう……なんか、すっきりした」
 アンディから離れて姿勢を正すと、もごもごと言った。
「どういたしまして」
 アンディは涼しい顔でそう言ったけど、彼のTシャツの肩はあたしの涙と鼻水で濡れていて、大きな黒いシミになっていた。
「大丈夫。ミカコが泣いたことは誰にも言わないから」
 アンディは少し笑うと、何ごともなかったようにレモンティーを飲んだ。
 その瞬間、心臓がきゅうううっと縮んだような感じがした。
  どっどっどっと耳の後ろがうるさく鳴り始める。

 あたしはびくびくしながら、冷めたレモンティーをぐいっと飲んだ。  

 
 

#3#5

 
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