今日は朝から快晴で、なんだかいいことがあるような気がした。
最近、家でもみんな沈みがちだった。相変わらずあたしたちにはライブの予定がない。だけど、腐っているのはやめよう。昨日の夜そう3人で話し合った。
あたしが思っていたのと同じ不安を実は2人も抱えていて、それでもなんとか進もうと考えていた。みんな一緒だった。
それがすごく嬉しかった。
12時に店を開けて、いつもみたいにレコードをアルファベット順に並べ直していく。
「びっくりしたな、ロンドンに行ったって、ほんとだったんだ」
背中に声を掛けられて、振り返った。
……あたしはそのまま過去にタイムスリップしていく。
彼は、最後に見た時と全然変わっていなかった。髪形も相変わらずあたしとおそろいで、その立ち姿も、服のセンスも、一年半前となんにも変わっていなかった。
「あ、川瀬さん」
喉がからからで、うまく声が出ない。
「ほんとびっくりした。世界って、狭いんだな」
そう言って、川瀬さんは滅多に見せないあの優しい笑顔を見せた。
お願い
乱さないで
もう、思い出すこともなくなって平気だと思っていたのに。
本当に嫌になる。どうして世界はこんなに狭いんだろう?
日本なんて、極東の地で、飛行機で13時間もかかるのに。
ロンドンだって広いしハマースミスなんて特に何もない所でレコード屋なら他にいくらでもあるのに。
逃げて来た。あたしはこんなに遠くまで、この人から逃げてきたのに。
初めてミミコとモモに誘われた時は、ロンドンだなんて冗談だと思った。でも一緒に行動してみると、それが本気だってことがすぐに分かった。ふたりはすごく熱心に英会話を勉強していたし、お金も節約して貯金していた。
内心、あたしはあせっていた。
あたしは本当にロンドンになんて、行きたいんだろうか?
それなのに、ふたりとずっとこのバンドでやって行きたい、っていう気持ちはどんどん膨らんで、どうしていいのか分からなかった。
ミルレインボウに入る2年も前から、あたしは一人の男の人にずっと縛られていた。
ミミコが別れる度に、モモは真実の愛について熱く語っていたけど、ミミコは短いスタンスで気付く分、あたしよりはマシなんじゃないかと思っていた。
あたしにはつき合っている男がいた。そう呼んでいいのか、いまだに分からない。
どちらも口にしなかったから。何年も寝るだけの関係を続けた。
あたしはその呪縛から逃れたくて、英会話と貯金に努めた。
「ここで働いてるんだ?」
「うん」
「ここ、来てみたかったんだ。前から話には聞いててさ」
ここがそんな有名だとは知らなかった。
あたしは川瀬さんを頭から爪先まで、じっくり眺めた。
あたしが大好きだった、なにもかもそのままだった。
「イチコちゃんは、全然変わらないな。すぐに分かったよ」
そう言って、川瀬さんはあたしの大好きだった綺麗な手であたしの髪の毛をくしゃっと掴んだ。
「今日さ、友達のイベントで少し回すんだ。よかったらおいでよ」
そう言いながら川瀬さんは鞄から出したフライヤーをくれた。
「うん、行く」
「ほんと? じゃあ入口で名前言えば入れるようにしとくから」
あたしは即答していた。どうして頷いたいしてしまったのか、自分でもわからなかった。絶対に断わるべきだったのに。
その後は仕事にならなかった。ただレコードを引き抜いて戻して、を繰り返していた。
リチャードは川瀬さんのことを、彼氏か、とか旅行で来た友達か、とか色々聞こうとしていたけど、あたしがあまりにもぼーっとしているので結局諦めてぶつぶつ文句を言っていた。
|