「見てコレッ、さっきロッシにもらったッ」
チコが夕食のテーブルに雑誌を広げた。
「どこを?」
そのページはお店や新商品の紹介ページだった。
「どこって、ココだよっ」
チコが指した先には、小さな記事があった。
ジェフリーチューブの今月の一枚 サイモン・ローランド
『ミルレインボウ/ミルレインボウ』
ロンドンで活動中の日本から来たガールズバンド。青臭く演奏は下手だが、心地よい高揚感をもたらしてくれる。多彩
なドラムス、肌をやさしく撫でるような美しい声のヴォーカル、激しく唸るギター、それぞれを結び付ける、潤滑油の役割を見事に果
しているベース。
全てが絶妙なバランスの上に成り立っている。
コインを一枚落としたと思って買ってみてはどうだろう。たったの1ポンドだ。彼女らは現在『ニュートラル』『スナッグ』をベースに活動しているらしい。
あたしたちは、それが本当に自分達のことなのか、目を疑った。だけど、間違いなく、あたしたちミルレインボウのことだ。
「なんか、けなされてるのか、褒められてるのかわかんないけど、いや……これベタ褒めだよね?」
ももちゃんがまだ信じられなさそうに言う。
あたしもまだ信じられずに頷いた。
「そうだよ。それに、ニュートラルでやってること、あのオーナーに言ってないから。きっと、調べたんだよ?」
チコは興奮している。
「あたし、潤滑油だって、」
あたしは思わず口に出してそう言っていた。
それは最高の褒め言葉に思えた。
平気なふりをしていたけど、ほんとはジェフに言われたことをものすごく気にしていた。だって、そんなこと分かってた。
あたしだけ未だにベースが下手くそで、技術面では明らかにミルレインボウの足を引っ張っている、っていうことも。
どんなに真似ようとしても、あたしにはイアンみたいな豪快なプレイや、レッドホットチリペッパーズのフリーみたいなかっこよくてファンキーなプレイなんてできない。
自分なりには練習してきたつもりだった。だけど、ジェフに言われてまだまだそれが足りないっていうことに気付かされた。
あれから毎日毎日、初めてももちゃんにベースを聞かせたいと思った時、あの時以上に練習をしている。何年もベースをやっているのに、今さらまた左指の先の皮が全部破れた。
だけど、あたしにはもっと気になっていることがあった。
練習不足なだけなら、練習すればいい。
だけど、それ以前に才能とかセンスがないとしたら? だって、昔から取り柄がなくて凡人なのが嫌だった。普通
なことがコンプレックスだった。
だから、プレイに人間性が出てしまうのなら、あたしのベースはきっと冴えなくて退屈だ。
「すごいよねー絶妙のバランスだよ? でも、ほんとそうだと思うもんね。絶対に、あたしたち3人じゃなきゃ、やっていけないもんね」
ももちゃんは感慨深げにそう言った。ももちゃんが本心からそう言っているのは明らかだった。嬉しかった。
「だよねえ。なんか。すごいよね、それを分かる人がいるってのは……あ、そうだ。知ってた?なんかこのレコ評人気なんだって。これに載ると、どんな無名でも、けっこう売れるんだって」
チコがいつのまにかあたしたちの前にビールを置いて言った。 「じゃああたしたちのデモテも飛ぶように売れたりして?」
「そんなうまい話ないか」 「ないよ」 ももちゃんとチコは楽しそうに笑う。あたしも一緒に笑っていた。
情けないな、って思いながら。 ベースやバンドを始めて、自分が少し特別
になったような気がした時もあった。だけど、そういう世界に飛び込んでしまえばそんなことは当たり前で、また普通
の人になって。 ロンドンに来ると少しは外人でめずらしがられるけど、やっぱりそんなのは求めている特別
とは違う。 あたしは心が狭くて欲張りで、やっぱり誰かの評価を気にしてしまう。
誰かっていうのは誰でもじゃなくって、自分が大切に思っている人たちの。
ほんの少しでもいいから、自分が誰かに必要とされているって感じていたい。
そんなのかっこ悪いことだって分かってるけど。だけど、あたしは絶対独りじゃ生きて行けないし、きっとどこにも踏み出すことが出来なかっただろう。何年経っても結局変われない。
ももちゃんやチコが、もっと上手なベーシストを入れる、なんて言う訳がないって頭では分かってはいても。
「ミミコなに黙ってんの?」 チコに笑いながら肩を叩かれた。 「なんでもないよ」
あたしは笑ってごまかした。本当はもう涙が出てしまいそうだった。 思えば、ふたりはあたしに一度ももっと練習すれば、とかここがダメだ、なんて言ったことがなかった。
もっと、もっともっと練習しよう。 あたしは強く胸に刻み込んだ。
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