ロンドンには梅雨なんてない。毎日毎日雨で、髪が湿気でふくらむのを気にしたり、靴に水が染みないように下ばかり向いて、水たまりをよけたりしなくてもいい。
裏庭の紫陽花は、なんの手入れもしていないのに、きれいに咲いてくれた。
相変わらずどこのレコード会社からも電話はないけど、元からそんな簡単だなんて思っていなかった。
ニュートラルではジェフに活を入れられながらも、定期的にライブが出来ているし、ローリングクイーンズストリートの人たちはみんなミルレインボウを応援してくれている。
外国人、という立場を利用して、あたしたちは日本にいた頃よりも、少し社交的になった。
ひとりじゃ乗り越えられないような事も3人いれば、どうにでもできる。
なんだか、最近あたしの人生は少しずついい方向へ向かっている気がする。
少しずつ、目の前の霧が晴れて行く。
ひさしぶりのスナッグでのライブ。解雇宣言から3ヶ月ぶりになる。その間、あたしたちは着実に練習を重ね、ジェフの叱咤激励も、初め程はキツくなくなった。
今日は朝までギグをするっていうイベントで、たくさんのバンドが入り乱れている。だから当然ものすごくたくさんのお客さんがいる。
ベンの心遣いか、あたしたちは午前12時からの30分間をもらっていた。
ちょうどお客さんが増えて、まだまだ元気でいてくれるすごくいい時間だ。
思った通り、10時の開始から、どんどんお客さんが増え続けている。
だけど……
「ねえ、なんか変じゃない?」
ついにミミコが口を開いた。あたしも、きっとチコも気付いていた。
たくさんたくさん集まったお客さんが、機材をセッティングするあたし達を、見ている。
「ものすごく、注目されてる気がする……外人だから?」
3人とも異様な空気に息が詰まりそうになっていた。
「あーだめだっ、緊張するっ」
チコが大きな声でそう言うと、外国人が母国語で絶叫したからか、いくつもの顔が一斉にこっちを向いた。
「ちょっと、こっち」
ロッシに手招きされてカウンターの方に3人でふらふら行くと、ベンにカウンターの中に引きずり込まれた。
「痛いって、ベン何するのっ」
ベン、ロッシ、そしてチコにミミコにあたし。どうしてかカウンターの中に輪になってしゃがんでいる。
「おまえら何ビクついてんだよ、ミー顔色悪いぞ、大丈夫か?」
ベンが言う。
「うん、うん、大丈夫」
そう言われて見てみると、ミミコの顔は本当に青白かった。
「いいか、ちょっと客増えたくらいで、何びびってんだよ」
「だって、ちょっとどころじゃないよ?」 「チー、ミルレインボウの夢は?」
黙っていたロッシが口を開く。
「夢……は、一万人ジャンプさせること」
チコはぼそっと呟いた。そう、あたしたちの夢は一万人くらいの人を一斉にミルレインボウの曲でジャンプさせること。
「声がちいせえよ」
ロッシはわざといじわるな声で言う。
「一万人ジャンプさせることッ! そうだよっ、ミミコッモモッ一万人に比べたら、このくらい大したことないよッ」
チコがやけくそなので、思わずみんなで笑ってしまった。
「よしっその意気ッ。やあーそれにしても、あれほんとすげえ威力だな」
ロッシはチコの髪をぐりぐり掻き回しながら言う。
「あれって?」
「え? チー見せてないのか?サイモン・ローランドのレコ評だよ」
「あ、ジェフリーチューブの? 見たけど、なんで?」
あたしは訳が分からずにロッシを見上げた。
「最近ミルレインボウの問い合わせばっかだったからな。でもここまで集まるとは。なあ? ベン」
ロッシはベンに同意を求めた。ベンは深々と頷いていた。
じゃあ、このお客さんたちの中には、あたしたちを見に来たお客さんもたくさんいるっていうこと?
「ももちゃん、大丈夫?」
「え? あ、大丈夫だよ」
ミミコがよりいっそう白い顔で不安そうにあたしを見ていた。
あたしも一気にプレッシャーで押しつぶされそうになる。
もう、チャンスを絶対に無駄にしたくない。このお客さんがまた足を運んでくれるかどうかは、今日にかかっている。本当は大丈夫じゃない。
だけど本当にロッシの言った通りだと思った。
こんなくらいで怖がっている場合じゃない。
「ミミコ、大丈夫?」
「ううん、大丈夫じゃないよ、なんか胃がキリキリしてる」
「大丈夫だって、ここが地下室だと思って思いっきりやればいいだけなんだから。ほら、アンディ来てるよ」
あたしは自分に言い聞かせながらミミコに言った。
「え? うそ。明日朝早くから大事な実験があるって言ってたのに」
ミミコはそう言ってにやにやし始めた。
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