ロックンロールとエトセトラ  
 

6月 ユア ソー グレイト
  You're So Great / blur

 
   
 #3 再会 モモカ
 

 あたしは気を失わないよう、なんとか彼について行った。
 ジェイミーはあたしの腕を引っ張ったまま急ぎ足でドアに向かう。
 そのままドアを抜けると、入口でチケットを売っているスタッフのテッドが、あたしに声を掛けようとしてやめたのがわかった。あたしがそのくらい切羽詰まった顔をしてたのかもしれない。
 ドアの外にはスナッグから出て来た人達が少しいたけど、みんなそれぞれに輪を作って話していて、こっちを振り返る人はいなかった。
 まだジェイミーは足を緩めない。
 そのまま通りを進んで人気のない路地に入った。
 暗闇に街灯がぽつんとひとつあるだけの静かな通りに、フラットがいくつか面 して建っている。
 街灯に照らされてジェイミーと重なるようにしてあたしの影がのびている。
 フラットの窓から温かな光が漏れていて、辺りはオレンジ色に照らされている。
 そこでジェイミーは立ち止まるとぱっとあたしの手を離した。
 あたしは支えをなくして倒れそうな錯覚を起こす。
「ごめん、勝手なことして。大丈夫だった?」
 ジェイミーはサングラスを外すと、にっこり笑ってそう言った。あたしはただ頷いた。   ……これって現実?
「やっと見つけた。ずっと探してたんだ」
「探してた?」
 あたしを?
「ゆっくり話したかったんだ。僕の命の恩人と」
 あたしは緊張してがちがちで、立っているのがやっとだった。
「あ、ごめん僕のこと覚えてる? ジェイミーブラウン、君が助けてくれた」
 ジェイミーは恥ずかしそうに言う。
 あたしは思い出した。あたしがジェイミーをただのブラウンさんだとしか思ってない、っていうことになっているんだって。
「覚えてるよ、もちろん……強烈だったし」
「だよね」
 ジェイミーは顔をくしゃっとして笑う。ジェイミーが笑うたびにあたしの体温は上昇して行く。
 顔が赤くなっていないか心配になって来たけど。この暗さならそんなことばれないだろう。ジェイミーは近くのフラットの前にある階段に腰掛けた。ジェイミーが手招きしたので、あたしもおずおずと隣に座った。
「あの時ちゃんとお礼も言えなかったからさ、ありがとう。えっと、」
 ジェイミーはあたしの顔を伺う。
「モモカ、キタモトだよ」
「そか。改めてよろしく」
 ジェイミーはそう言って手を差し出した。
 あたしはその手をぎゅっと握り返した。
「ほんというと、あの時の事はほとんど覚えてなくて。君のことも、夢かと思った。黒くて綺麗な髪の、オリエンタルな、」
 そこで止めるとジェイミーはくすっと笑う。
「なに?」
 薬で意識が薄くても分かるくらい、あたしおかしいことした?
「ヴィーナスかと思った」
「え?」
 あたしは思わず目を丸くした。
 あたしが? 女神?
「ほんと、そんな感じだったんだ、ぼんやりしててさ。せっかくチケットくれたのに、あの月はリハーサルとレコーディングで自由にならなくてさ。けどテープを聞いたらよけいにギグを見たくなって。でもさ、チケットもなくしちゃってもう連絡取れないかと思ってたんだ。そしたら雑誌の記事見つけてさ。これはもう行くしかないって勝手に思っちゃってさ」
 ジェイミーはくすくす笑う。
 ジェイミーがあたしのことを少しでも思い出してくれてただなんて。もう、あたしの胸はさっきからずっときゅんとなりっぱなしで、これ以上ときめいたらきっとパチンと音をたてて弾けてしまうじゃないかと思った。
 ジェイミーはひとしきりお礼を言うと、あの日の事を詳しく聞き始めた。あたしが逆の立場でも同じ様に知りたくなったと思う。
「あたしの家この近くなの。ローリングクィーンズストリートって知らないよね?」
「ああ、ごめん」
「うん、地図にも載ってないから」
 ジェイミーはにっこり笑う。
「そこにあるんだけど、駅から帰る時、あたしはいつも建物の間を抜けて近道するの。だからあの日も同じ様に歩いてたのね」
 そこまで話すとあたしは立ち上がって歩き出した。あの近道は今はもう使っていない。あそこを通 る度にジェイミーのことを思い出して切なくなるから、今では表通りをぐるっと回って帰っている。
「どこ行くの?」
「ここからすぐなの」
 あたしはジェイミーを見つけた路地に向かった。まるで現場検証みたい。そう思うとわくわくしてくる。もうこの時間フラットはどの部屋も電気が消えていて、辺りはしんと静まり返っていた。
「あたし、ここを歩いて来たの」
「え? ここ?」
「うんそう」
「暗いよ?」
 細い路地を見てジェイミーは目を丸くした。
「うん。こんな遅い時間には来ないから、いつもは部屋の電気が付いてて明るいんだよ」
「へえ」
 あたしがいくつもあるフラットの窓を指差すと、ジェイミーは頷いた。
 確かに今は全部の電気が消えていて、ジェイミーが倒れていた路地の街灯の光が、こちら側まで弱々しく届いているだけだった。
 あたしがそこを進むと、ジェイミーもついて来た。
 この暗い路地を抜けると、街灯の3本建っていて明るいあの路地に着く。
 そして、後ろを振り返った瞬間あたしは大笑いしてしまった。
「ジェイミー、大丈夫?」
 あたしはそう言いながらも、笑いを止められなかった。だって、身長180センチのジェイミーはカニ歩きで、くりくりの髪の毛がほんの2センチで壁にモップ掛けをしてしまいそうだった。
「なんとか大丈夫だよ。さ、進んで、進んで、」
 そう言われてさっさと路地を抜けると、カニ歩きでゆっくりやって来るジェイミーを見てまた笑った。
「もう笑いすぎだって、ひどいなあモモカ」
 名前を呼ばれて心臓が飛び跳ねた。その発音はぎこちなくて、すごく呼びにくそうだった。だからみんなあたしたちのことを、モー、ミー、チー、って呼ぶ。
「モモカって呼びにくいでしょ? 適当に呼んでいいよ」
 ジェイミーがあたしのことをなんて呼ぶのか知りたかった。
「ほんとに? じゃあー、えーと、じゃあモーモ。そう呼んでもいい?」
「うん」
 きっとモモって呼びたかったんだろうけど、どう聞いても『もぅも』に聞こえる。それでも、そんなふうに呼ぶのはジェイミーだけで、特別 な感じがして嬉しくなった。
 あたしは自分がちゃんと地面に足を着いているかも分からないくらい嬉しくて、ジェイミーがあたしを見て、話して、そして名前を呼んでくれるなんて、もう溶けてしまいそうだと思った。
 ……それなのに、まだ満足じゃない。
 あたしは決心を固めた。

 
 

#2#4

 
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