「おしゃれしてきて。ジーンズスニーカーは入れてもらえないから」
あたしは早くも誘いを受けたことを後悔していた。だって、そんな服ないし、どうしよう。結局あたしはミミコに泣き付く為にスナッグに向かった。
「待ち合わせは何時?」
「8時」
「じゃあまだ4時間もあるじゃない。あたしにまかせてっ」
ミミコは生き生きとして目を輝かせている。あたしだって逆の立場ならすぐにミミコを綺麗にしてあげられる。あたしはミミコの言葉を信じて気持ちを鎮めることにした。
ミミコはベンとロッシに頼み込んで、あたしが出掛けるまでの間、長い休憩をもらえることになった。
「じゃあまず、エレンに電話して」
「え? なんで?」
「もう、あのドレス借りるのっ」
「あ……あれ!」
あたしがどうしても欲しかった、何年か前のシンシアローリーのワンピースが、バタフライに古着として入って来た。高くて買えなくて、非売品として店に飾ってもらっていて、来月にはあたしの物になるはずだった。
「簡単に貸してくれるとは思えないけど……」
「あれを今日着なくていつ着るの? 早く電話っ」
あたしはミミコに急かされて電話を掛けた。
驚いたことに、たった30分でドレスが届いた。エレンは文句を言うどころか、ベスパを飛ばして笑顔で玄関のベルを鳴らした。
いつのまにか、今夜あたしをぴかぴかにして送り出す事が女同士の一大プロジェクトになっていた。
「じゃ、これでお風呂入って来て」
ミミコはそう言って満足げにテニスボールくらいある固いピンク色の塊を渡して来た。
「バスボム?」
「昨日アンディとラッシュ行って来たの」
「アンディが? ラッシュっ?」
あたしは思わず吹き出してしまった。
「そうなの、喜んでたよー。すごいいっぱい買い込んでたもん」
あたしはアンディがレンズの曇った眼鏡をかけたまま花びらの浮いたお風呂に入っている所を想像して、もっとおかしくなった。
「いーね、余裕出て来たじゃないモー。じゃ、あたしは店再開しに帰らないと。今日の事、明後日全部聞かせてよね」
そう言ってエレンはあたしを力強くハグした。
「ありがと、ほんとにありがとねっ」
「汚さないでよ? 来月まではまだあんたのじゃないんだからね」
そう言って笑いながら、エレンはベスパにまたがると、どんどん小さくなって行った。
「ほら、ももちゃんぼーっとするならお風呂でね」
いつもの何倍もテキパキとしたミミコに背中を押されて、バスルームに向かう。
バスボムは、シュワシュワと音を立てながら、お湯をうっすらピンク色に染めていく。お湯が煌めいていて、オーロラ色のラメが入っているのが分かる。
ジャスミンの香りをたっぷり吸い込んで、あたしはよけいな事を全部頭から追い出した。
楽しめばいいんだよ、ただそれだけ。
お風呂から上がると、いつもよりも念入りにボディーケアをした。よく見ると肌に細かいラメが付いている。
「さ、ももちゃん座って」
リビングでメイク道具をテーブルいっぱいに広げて、巻き髪用の温まったコテを持ったミミコが待ち構えていた。
「ミミコ、気合い入ってるね」
「あったりまえ」
「でもホント、デートじゃないんだよ?」
「なんで? ドレスアップして来いだなんて、そんなの絶対デートだよ、どんなとこ連れてってくれるんだろうね? やっぱりセレブとか来るパーティーかなあ?だったら完璧デートだよ。うん」
ミミコはひとり頷いて納得している。だけど、そう言われるとそんな気もしてきて、胃の辺りがきゅうっとなった。
「でも違うよ、ジェイミーにはレイチェルがいるんだから」
そう言ってしまうと、気が楽になるのと同時に胸がちょっとちくっとした。
用意が整って、それから1時間経ってパウダーのついたパフでおでこや鼻を押さえたり、チークを入れ直したり、リップグロスを3回塗り直したりした頃、大きなブザーの音が家中に響き渡った。
あたしはソファでハンカチを握ったまま動けなかった。
ミミコと、途中で帰って来たチコの盛り上げにだんだんまんざらでもなくなって来て、今やもう初デート気分で気絶しそうになっている。
「ほら、王子様のお迎え」
チコが笑いながらあたしの背中を押す。緊張して吐き気がしてきた。
結局は、ジェイミーがどう思っていようと、あたしにとってはいつだってデートと変わりない。
スナッグで再会した日を入れて6回会って、その十数時間かであたしは確実にジェイミーを好きになってしまった。もうごまかしようがない。
すごいスピードで自分の気持ちが回転し始めて、あたしの頭は付いて行けずにまだ混乱している。だって、信じられない事が急にいくつも起こったから。
ジェイミーに再会したこと、ジェイミーと二人きりで会ったりすること、目の前でジェイミーがあたしだけの為にギターを弾いてくれること、ジェイミーをロックスターじゃなくてひとりの男の人として見ていること、それになによりも、また恋をしていること。
あたしはまた自分が誰かをセイくん以上に愛せるなんて思っていなかった。諦めてはいなかったけど、もう長い間出会えなかったから不安だった。
もしかしたらジェイミーを本気で愛するようになるかもしれない。
たぶん、もうすぐに。
「ワーオ」
ジェイミーは戸口でそう言った。
ほんとは、あたし自身さっき鏡で完成した姿を見てそう思った。ソーダみたいなグリーンのシフォンのキャミソールワンピース。ミミコもチコも褒めてくれた。サイズもぴったりだったし、やっぱりこれはあたしが買うべきだったんだ、と思った。髪もミミコが丁寧に巻いてくれたし、お気に入りのアナスイのマスカラにディオールのグロスで、武装もしてる。
大丈夫、大丈夫、
あたしは自分で自分にプレッシャーをかけてしまわないよう、必死で言い聞かせた。
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