タクシーから降りた瞬間、パーティーがどこでやっているのか分かった。
「盛り上がってるね。早く楽しまなくちゃ通報されて解散しちゃいそうだ」
ジェイミーはそう言って笑った。誰かのフラットで行われているパーティーに来るのなんて、始めてだった。
「ジェイミー、ドレスアップじゃないの?」
さっきから気になっていたことを聞いた。張り切っておしゃれしてきたけど、ジェイミーはいつもと変わらない細い破けたジーンズにシャツだった。それにスニーカー。まさかタキシードで来るなんて思っていた訳じゃないけど。でもこれじゃあたしだけ気合いを入れ過ぎだよ。
「あ、そうだった」
そう言うとジェイミーは脇に抱えていた黒いものを広げた。よく見るとそれは丸めてヨレヨレになった黒いジャケットだった。ジェイミーはそれを羽織ると、そのポケットからネクタイを出して、慣れた手つきで緩く締めた。
「さ、完成」
ジャケットのボタンを留めて、ジェイミーはにっこり笑った。ジャケットはくちゃくちゃのよれよれだけど、もちろんすっごくかっこよかった。またドキドキしてしまう。
ビービービーと三回ジェイミーがブザーを押すと、扉が開いて、中から大音響と奇声と笑い声が飛び出して来た。
「ハーイジェイミー、会いたかった」
そう言いながらジェイミーに絡み付く、体のラインがハッキリ分かる真っ赤なドレスのゴージャスな女の人も。
「久しぶり、フリーになったって聞いたからずっと会いたかったのに」
フリー? その言葉に全身が反応した。あたしは自分の耳が尖って大きくなっていないか、触ってみた。
大丈夫だった。
「マリアナ、彼女は日本から来たモーモ。モーモ彼女はウクライナから来たマリアナだよ」
「はじめまして」
そう言って手を差し出すと、彼女は初めてあたしに気付いた顔をした。あたしが差し出した右手は行き場をなくした。
「新しい彼女?」
マリアナは全く隠そうともしていない攻撃的な一瞥をあたしに向けながら言った。あたしは張り付けた笑顔のまま首を降った。
「モーモは最近できた友達。彼女すっげークールなバンドやってるんだよ」
「そう」
そう言って彼女は全く興味なさそうにちらっとだけあたしを見た。
それでもあたしは何にも感じなかった。
だって、ジェイミーがフリー? そんなこと聞いてない
それに今、あたしたちのこと、『すっげークールなバンド』って言ったよね?
「さ、飲もう」
ジェイミーはビールの6パックを手にダイニングに向かう。途中、ジェイミーはいろんな人から熱い抱擁を受けていた。女の人からも、男の人からも確かにみんなドレスアップはしているけど、セレブの集まりではなさそうだった。
でも、誰もジェイミーを指差して騒いだりしない。よくわからないトランスの曲が鳴り響くフラットの中をビールを片手に歩く。本当に盛り上がっていて、フラットは3階まで、どこも人で埋め尽くされていた。ジェイミーが言っていたのは本当で、女の人も男の人も、みんなきちんとドレスアップしていた。ジェイミーが一番ラフだった。
「おいっ、ジェイミーっ」
遠くから叫び声がだんだん近づいて来る。見ると眼鏡をかけてタキシードを着たぽっちゃりした男の人が人を掻き分けながらこっちに向かって来ていた。赤い蝶ネクタイが目に入った。
「よお、ミッキー」
二人は親し気に握手とハグを交わす。
「モーモ、彼がこのパーティーのオーガナイザーだよ」
「あ、はじめまして」
あたしが差し出す前にミッキーはもうあたしの手を両手でしっかり握ってぶんぶん振っていた。
「そっか、君がこいつの命の恩人? いや、この世界にこいつを引き留めた、地獄の女神だっけ?」
「地獄!?」
あたしは思わず変な声で聞き返した。
「ミッキー」
ジェイミーが慌てて指でミッキーを突く。
「ま、気にしないで。楽しんで。会えてよかったよ」
ミッキーは人懐っこい笑顔で立ち去る。
「おいジェイミー、こんななゴージャスな子だとは聞いてなかったぞ」
そう言って人ゴミの中に消えて行った。あたしは赤くなった顔を隠そうと、髪を直すふりをして、横の毛を前へ集めた。
なんだか舞い上がって、いつもよりもたくさんお酒を飲んでしまった。
夜中の1時。照明が暗くなって、スローな曲がかかり始めた。飲んだくれていた人もみんな一生懸命襟を正して髪を手櫛で整えると、お目当て女の人の元によろよろと歩いて行く。
古い青春映画みたいな光景が、次々目に飛び込んで来る。
ジェイミーとあたしはソファに並んで座っていた。
あたしは家のソファでビデオを見ているような錯覚に陥って、声を出して笑った。ミッキーは泥酔状態で、ウクライナの美女、マリアナにダンスを申し込もうとしたのに、テーブルに足を引っ掛けて床に這いつくばってしまった。その間に彼女は優雅な身のこなしでその場を離れた。そして、きょろきょろ誰かを探している。きっとジェイミーだ。
マリアナは恐そうだけど、さらさらの肩まであるプラチナブロンドにつんと尖った鼻にぽってりした唇で、女のあたしでも見とれてしまうくらいの美貌だった。まるで映画のスクリーンから抜け出して来たみたい。
隣のジェイミーを盗み見てみると、彼もマリアナを見ていた。胸がちくっとした。
ジェイミーは彼女が見つけてくれるのを待ってるの?
「ちょっと外の風に当たりたいな、付き合って」
予想外に、ジェイミーが急に顔をあたしの方に向けて言った。
「モーモも顔が赤いな、涼んだ方がいいよ」
確かに人で埋め尽くされていてクーラーも効いてないし、お酒もいっぱい飲んだけど、顔が赤いのはそのせいじゃない。
「立てる?」
「うん」
そう答えたものの、本当はソファに沈み込んだこの状態が心地よくて、離れ難かった。
「ほら」
ジェイミーは笑うとあたしの両手首を掴んで引っ張り上げた。あたしはやっぱり酔っていて、体が元気になり過ぎていた。自分の立ち上がる力とジェイミーの力のバランスが取れずに、あたしは飛び上がるようにしてジェイミーの胸に倒れ込んだ。
本当に本当にわざとじゃないけど、どきどきした。ジェイミーは驚いて爆笑している。ジェイミーの首からふわっといい匂いが漂って、あたしは必要以上に息を吸い込んだ。
知ってる香水だと思った……すごく好きな。でも、思い出せなかった。
ジェイミーがあまりにも笑うから、あたしも恥ずかしくなって一緒に笑った。
ジェイミーはあたしの手を引いてドアに向かう。またきゅんっとしたけど、単にあたしの足元が危ういからだって思い直した。それでも、あたしはジェイミーに触れられるだけで、それがどんなに友達っぽい仕種だったとしても、どうしようもなく嬉しくなってしまって、そこから痺れてビリビリする。
外に出ると、風が優しく肌を撫でた。湿気の少ない風が気持ちいい。
振り返ってみると、フラットの電気が真っ暗になっていた。驚いてジェイミーの顔を見ると、ジェイミーは少し笑った。
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