「いや、それは無理」
じっとあたしを見据えていたジェイミーはやっと口を開くと、はっきりそう言った。
その言葉はあたしを遠くに追いやって、あたしは地下室から放り出されたような気がした。
心臓がヅキンッと痛んで、一瞬意識が遠退く。
全く心構えできていなかった。ジェイミーと合ったままの目をそらすことさえ出来ない。
その時、急に体が倒れた。
何が起こったのかわからなかった。
目の前が真っ暗になって息苦しくて、鼻をぶつけてジンジンする。その上、悪魔の叫び声が耳をつんざく。
振られたショックであたしは心臓麻痺を起こして、地獄に堕ちてしまった……。
そんな馬鹿なことを本気で信じそうになった時、地面が震えて頭の上からやわらかな笑い声が聞こえて来た。
だけど相変わらず悪魔の叫び声は鳴り止まない。それどころか、激しくなっている。
「ごめん、そんなに強く引っ張ったつもりないんだけど」
めまぐるしい妄想の後、自動的に体が起こされて光が射し込んで来た。
目を開くとジェイミーが笑いながらあたしを覗き込んでいた。
近い……近過ぎる。
もちろんあたしは地獄に行ったんでも、気を失ったんでもなかった。
「ごめん、大事なギター、」
そう言ってジェイミーが長い腕を延ばしてあたしのSGの弦に触れると、悪魔の叫び声はピタっと止んだ。ジェイミーはギターを立て直す。
あたしはアンプの電源を切るのを忘れていたみたいだった。
ふと気付くと、あたしはジェイミーの立てた膝の間に座り込んでいて、あたしの睫
のすぐ先に、ジェイミーの顎がある……今度こそ本当に気を失ってしまいそうになる。
「あたし、ずっと憧れてたジェイミーのことを、本気で好きになりそうで恐かった……だから必死で抑えようとしたし、ジェイミーが死にたがりかもしれないってわかった時も遠ざけようとしたの。なのに、だめだった……だってっ、こんなにかっこよくて、優しくて、一緒にいて楽しくて……それで、ジェイミーなんだよ? 好きにならないなんて、ありえないよ。ジェイミー、もうほんとに大好きなの」
あたしは焦って、ジェイミーの顎に向かってついに本音をぶつけた。
ちょっと鼻息が荒くなって、顔から火が出た。
だけど、自分の勇気万歳だと思った。
その勢いでジェイミーを見上げてみると、ジェイミーは耳と頬をピンク色にしてあたしを見下ろしていた。
……ジェイミーが赤面? まさか。何度も瞬きをしてみたけど、やっぱりジェイミーはピンクで固まったままだった。
5秒くらいすると、ジェイミーはあたしから逃げるように目をきょろきょろ泳がせた。
うそ、信じられない。ジェイミー……かわいい。
心臓がきゅうっと絞られた感じがして、あたしはジェイミーを本当に愛しいと思った。
なんだか自分でもよく分からないまま、気がつくと勢い良くジェイミーに抱き付いていた。
「あ、うあ」
突然で構えていなかったジェイミーはバランスを崩してまたさっきみたいに仰向けにごろんと倒れた。その時またギターを薙ぎ倒してしまって、怒ったギターが物凄い唸り声をあげた。
あたしちは笑い転げた。
ギターの音はハウリングに変わってキューーーンっと耳を貫く。それでもあたしたちは笑い転げていた。文字通
り。
ジェイミーはゆっくり回転して、あたしを下にする。その顔はすごく真剣だった。
「僕が、先に言おうと思ったのに……モーモといると、本当の自分でいられる。すごく楽しいし心地いいんだ。みんなが求める僕になろうとしないですむから……」
ジェイミーの顔は影になっているはずなのに、その目はすごくきらきらして見えた。
ジェイミーは口の端をきゅっと上げて微笑む。
「だから。僕はモーモのことを好きになったんだ」
ジェイミーが耳元で囁いた。あたしはその言葉を何度も何度も心の中で響かせた。
「彼女になってくれる?」
「……ん」
あたしはそう言うのが精一杯だった。もう、涙がこぼれてしまいそうだった。
あたしの耳元から一度体を起こしたジェイミーが、またゆっくりと降りてきて、初めてのキスをした。
本当に夢を見ているみたいだと思った。それからもしかしたら夢かもしれないって思ったけど、すぐに思い直した。
ジェイミーの唇も、舌も、それからこめかみを伝って耳に入ってきた涙も。
なにもかもがリアルだった。
全部がたまらなく愛しい。
「モーモ?なんで泣くの?」
ジェイミーは心配そうに眉を寄せる。
「なんでもないよ……嬉しいだけ」
「ほんとにそれだけ?」
「うん。そうだよ」
「そか」
ジェイミーは笑うと、またキスする。
本当はそれだけじゃなかった。嬉しい、の中に、いろんな事が詰まっている。
おにいちゃんのこと、お母さんのこと、お父さんのこと、独りぼっちだったこと、セイくんのこと、カート・コバーンのこと、歌うことを辞めなかったこと、ロンドンに来たこと、つらかったこと、悲しかったこと。なにもかも全部が詰まっていた。
全部が消えてなくなる訳じゃない。
だけど、その棘のいくつかが、溶けて少し丸くなるのを感じていた。
これがあたしの目標の全てじゃないことは、ハッキリ分かっている。
だけど、確実にあたしたちがロックスターになることよりも奇跡的な事が、今起こっている。
ミミコが前言っていた、好きすぎて好き死にしちゃいそうだって。きっとこれがまさにその状態なんだね。
それに、ジェイミーがあたしの首にキスをすると、もうすっかり忘れていた感覚が体を突き抜けた。この、お腹の下から心臓を通
って眉間を貫くぞくぞくした感覚。
少し戸惑ってしまう。
「ももちゃん大丈夫ッ?」
その時キッチンに続く地下室のドアが勢いよく開いて、息を切らせたミミコが入って来た。
「え、あ、ももちゃん?……襲われてる訳じゃ、ないよね?」
呆気に取られたミミコが言う。
「あ、うん、違う、もちろん違う、うん、」
ジェイミーは素早く体を起こして、あたしを起こしてくれる。ものすごく、気まずい。
もちろん、ミミコはドラマみたいに顔を真っ赤にして慌てて謝って出て行ったりはしない。
「もうっ、ももちゃん、あたしももちゃんが壊れて暴れてるのかと思ったよっ」
ミミコは責めるように言った。そして速足であたしとジェイミーの横を通り抜けると、ギターをスタンドに立てて、手順通
りにアンプのボリュームを下げてから、電源を落とした。
「うるさくなかったの?」
ミミコは丸い目をもっと丸くして言う。
「うん、うるさかった、けど、」
ミミコはあたしとジェイミーを見下ろしていて、なんだかあたしは穴に潜りたい気持ちでもじもじしていた。きっとジェイミーも同じく。
だけど、おそるおそる顔を上げてみると、ミミコはこれ以上ないくらいにやけていた。
「ももちゃん、仲直りしたんだね、よかったね」
「うん」
あたしは笑顔で答えた。ミミコは笑顔のままくるっと背中を向ける。
「さ、あたしの親友にロックスターの彼氏が出来たって言い触らしに行こうっと」
「えッッ」
ジェイミーがびっくりして変な声を出したけど、あたしは笑顔を向けた。だってミミコが言い触らす相手はチコ、ロッシ、アンディ、ベン、そして水曜日に会うドロシアに決まっている。
「あっそうだ、言っとくけど、あたし別に覗いてた訳じゃないからね」
ドアの前で振り返ったミミコが言う。
「そんなこと思ってないよ」
思わず笑ってしまう。
「 それからももちゃん、今日ごはん当番だよ」
ミミコは笑いながら言う。
「あ、そうだった、忘れてた」
「ジェイミーも食べて行くよね? ももちゃんすごい料理上手なんだよ」
「えっ、」
あたしがビクっとする横で、ジェイミーは激しく頷いていた。
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