あたしたちはライブの出来に満足だった。ぱらぱら入り始めたお客さんと、他の3バンドを見る為に増えて来たお客さんの半分以上は足を止めてちゃんと聞いてくれた。
知名度がゼロのあたしたちを知ってもらうとっかかりが、ただの物珍しさでもかまわない。
それにジェフもなかなかよかった、と言ってくれた。ジェフはまだあたしたちに最高だった、とか言ってくれたことがない。
ヴァイオレットにはたくさんファンがいて、まるでアイドル扱いだった。ステージを見終えると、ふたりが言ってたかわいい、っていうのがようやく分かったような気がした。
媚びてる感が漂っているのはきっと、リハの時のドラムスのことをまだあたしが根に持っているからに違いない。
マルボロがライブハウスで売り切れで、しょうがなく近くの売店まで行こうと、スタッフ専用のドアから出た。早く戻らないとジャクソンブレイクの演奏が始まってしまう。売店でタバコを買って戻ろうと路地に入ると、くすくす笑いが聞こえて来た。
目を向けると、ヴァイオレットの子たちがあたしの少し前をのろのろ歩いていた。ものすごくゆっくり。この距離を保って歩いていたら、戻るまでにジャクソンブレイクのライブが始まって終わってしまう。
ここはロンドンに来てから身に付けた社交性で交わそう。そう決めて、足を速めた。
近づいていくと、話の内容がはっきりと聞こえて来た。『イエロー、』間違いなくそう聞こえた。
「あたしドラム無視してやったよ、仲良しごっこなんかしてらんないよねー」
「だよーあの変な訛り移ったらやだし」
「だいたいあのちびのベースが言ってたじゃない?バンドやる為に来たみたいなこと、本気で通
用すると思ってんのかなあ?」
「それ言ったらおしまいだよ、わーざわざ遠い国から来てんのにさ」
「必死だよねー」
あたしは耳を疑った。
もう4人がバービーなんかじゃなくて、人間ですらなくて、本当に悪魔に見えてきた。4匹の悪魔は高らかに笑い続ける。
『世の中には本当に魔界から紛れ込んでいる悪魔がいて、理解を越える暴君とか凶悪犯とか、どうしようもない性格ブスとかがそれで、それは本質的なものだから、関わらないのが一番なんだよ、本に書いてたっ』って前にミミコが力説していた。
あたしはXファイルの見過ぎだって笑い飛ばしたけど、今それがはっきり分かった。
だけどあたしに、関わらない、なんていう事が出来る訳がない。
掌に爪がくい込む。あと5メートルで彼女達はドアをあけて中に戻って行く。
だからそれまで我慢する?
いや、いや、無理。
そう確信する前に、あたしは近くにあったごみ箱を蹴り飛ばしていた。アルミ製のそれは壁と地面
にバウンドして転がって、細い路地に大きな音が轟いた。
ヴァイオレットが一斉にこっちを振り返った。
「あんたたち最低っ、人種差別の馬鹿女! あたしたちがどこで何しようと勝手でしょ、それに日本人の男がちびなんじゃなくてあんたたちがでかいんだよ! だいたい男にモテたいからバンドやってるのなんて、すぐ分かったよ、それのほうがよっぽどダサいのよ!」
ミルレインボウを笑い物にしたあげく、ミミコやモモのことまで馬鹿にして、その上あたしの一番嫌いな女っぽさを目の前で披露してくれるだなんて。あたしの怒りは簡単には治まらない。あたしは4匹の顔を一人ずつ眺めた後、最後にドラムスをじっと見据えた。
「なんなのよ? あたしたちがなにを言おうと勝手でしょ? それを盗み聞きして文句つけんなっての、」
ボーカルがふてぶてしく言う。
「うるさいっ、あんた達があたしの目の前で話し始めたんだよっ、じゃあ人がいなけりゃ何言ってもいいんだ? あーそー、さっきバーの横でビール飲んでた三人組が『うあ、あのボーカルとやりてー』『えー、あれはナシだろ。デカすぎ』『おまえデブ専だろ』とか言ってたよ」
それは本当だった。あたしのすぐそばにいた男が三人で品定めをしていて、同時に自分のことを気にしていそうなその3人を意識してちらちら見ていたのも知っていた。あたしは女の敵として、そいつらを思いっきり睨んでおいたのに。
「嘘よ!」
顔を真っ赤にして叫ぶボーカルを横目に、他の3人はにやにやしていた。
早くもこのバンドの行く末が見えた気がした。
「あんただって、」
やっと我に帰ったドラムスが助け船を出すべく攻撃してくる。
「あたしちのファンが言ってたよ、あんた恐いって、男みたいな叩き方だって、ぜんぜん色気ないってさ」
たぶんそれは本当なんだろうけど、そんなの昔から何百回も言われたことあったし、あたし自身が一番分かってることだった。だいたいあたしは色気なんて欲しいと思ったこともないし。
それ以前に、棒を振り上げて太鼓を叩くのに、女らしいやり方なんてあるんだろうか?
「だから? だいたい16ビートすらまともに叩けないあんたに言われたくないよ、じゃああんたのは女らしい叩き方なんだ? 2曲目あんた1人で走るからみんなついて行けてなかったよ」
あたしは冷静にそう返した。
だんだん熱が冷めて来て、こんな喧嘩はばかばかしいと思えて来た。
それに、もう決着は着いた。明らかにあたしの勝ち。
「あんた偉そうに何言ってんの? そんなことないよね? みんな」
そのドラムスの力説に、彼女たちは弱々しく答えた。
なんか、もうこれめんどくさいな。
ちょうどそう思った時、ライブハウスのドアがヴァイオレットの傍で勢いよく開いた。
「アルッ」
そう言いながら顔を出したのはジャクソンブレイクのボーカルだった。
「あ、アル、うちのドラム。見なかった?」
「いえ、見てないです」
誰かがすごくかわいい声で答えた。あたしは思わず吹き出した。彼からはあたしは影になって見えないらしい。
「あいつここにいるって言ってたんだけどな。もう始めるのにさ。とりあえず中で待つよ。君らも見においでよ」
ヴォーカルはその誘いに返事をすると、あたしの方をちらっと見て鼻を鳴らした。ドラムスはジャクソンブレイクのボーカルに肩を抱かれて勝ち誇った顔をしてあたしを見ていたけど、そんな勝負に乗った覚えはない。
錆びた鉄のドアが大きな音を立てて閉まると、静けさが戻って来た。
あたしは長い溜息をついた。ああ、疲れた。
近くにあったコンクリートブロックに座る。
そうだ、早く行かないとジャクソンブレイク始まっちゃうな。ドラムスももう戻っただろうし。
そう思っても、なかなか立ち上がれなくて、とりあえず煙草を一本吸ったら戻ることに決める。
胸がちょっとチクッとする。もちろんあの子たちに言い過ぎたとか思ってじゃない、もちろん男みたいって言われたからでもない。
むしろ、あの子たちがかわいそうに思えるくらいだ。あんなうわべだけのバンドは、すぐに消えてなくなるだろう。
ただ。ずっと見ないふりをしていたけど、少しは気付いていた。さっきのは、完全な人種差別
だ。あたし個人の見た目とか性格とか、そういうのを突かれたんじゃなくて、もっと漠然としたバックグラウンドを突かれた。
だから? 日本人だからなんな訳?
さっきはそう思ったけど、それだけじゃない。
あたしの周りには今まで差別をする人もされる人もいなかった。それはシェイカーズ時代からだった。みんな自分勝手で横暴なところもあったけど、人を差別
するようなイジけた人間じゃなかった。
もちろんミミコもモモも。
だけど、きっと世の中にはそうじゃない人間の方が多いんだ。
ローリングクィーンズストリートの人も、スナッグで会う人も、エレンもリチャードも。全くそんなこと匂わせなかった。
だけど前に近くのマーケットで小さな男の子があたしをじろじろ見ていた。その子はあたしを見ながら石をいくつか拾い始めた。嫌な予感がしたと同時にロッシはその子の耳を引っ張って耳打ちをした。すると男の子は泣きそうな顔をしてあたしを見ると、石を捨てて走って逃げて行った。
「何言ったの?」 「あっちにさっきベッカムがいたぜって」 「子供騙したの?」
「ジョークだよ」
ロッシは大きな声で笑ったけど、ほんとはロッシの声が大きくて聞こえていた。
『おまえ何しようとしてんだ? いーか、彼女は日本人で、日本人を傷つけたら、連れて行かれてハラキリさせられるんだぜ』
っていう間違った忠告が。
それでも嬉しかった。だけど、あの子からしたらあたしは動物園の檻にいる動物みたいな感じなんだろうか?とか考えると変な感じがした。
そういうことが何度かあったけど、あたしはその事について深く考えないようにしていた。
煙草を一本吸い終わって約束の時が来たけど、あたしはまたもう一本引っ張り出そうとしていた。
その時背後で人が動く気配がしてあたしは凍り付いた。
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