「恐いねー」
その声とともに現れたのは、ジャクソンブレイクのドラムスだった。彼はライブハウスと隣のパブの間の隙間からスティックを握り締めて出て来た。あたしはびっくりしすぎて出したばかりの煙草を落としてしまった。
「な、何やってたの?」
「隙間に入ると集中出来るんだ」
「そ、そう。さっきボーカルの人探してたよ?」
「うん知ってる。だいぶ前に戻るはずだったんだだけど、出て行きにくい状況になっちゃったからさ」
冷静に全部見られていたのかと思うと、気まずくてしょうがない。
「女の子って恐いね」
彼は挨の付いたTシャツを払いながら笑う。
それは嫌味? 彼の傍らに、あたしが派手に蹴飛ばしたゴミ箱が転がっている。幸い中身は空だったらしい。
「恐かったね。さあ行こう。俺達のギグで元気出して」
あたしはびっくりして何も言えなかった。彼はごみ箱を壁際に立て直すと、笑顔であたしを待っている。
「早くしないと怒られるから」
「あ、うん」
あたしはとりあえず立ち上がって彼の傍に立った。
「俺アル。彼は手を差し出す」
「あたし、チー」
ぎゅっと握手した。
「さあ行こう」
屈託のないその笑顔に、なんだか胸騒ぎがした。
これは何? 胸騒ぎ、っていうか、なんか胸がさわさわする。
彼は鉄扉をあけて通してくれる。
「誰がなんと言おうと、君達のギグはクールだったよ。それに君のあのクールなセット。俺もあれで叩いてみたいよ」
アルはそう言って、ステージ裏に通じるドアに入って行った。
嬉しかった。
そうだよ、そんなこと知ってたよ。誰が何て言ったって、ミルレインボウは最高だって。
あたしは何をビク付いてたんだろ? 馬鹿だ。
そう思うと急に心が晴々として、あたしはスキップでもしそうな勢いでふたりの元へ向かった。
「遅かったね」
そう言うミミコの肩越しに、あたしをものすごい顔で見ている集団がいた。だけど、もうぜんぜん気にならなかった。
あたしは自分のやりたいように、こんな遠くの街まで軽いフットワークで来たし、毎日がすごく楽しい。嫌な目に合うのだって、よく考えてみれば日本にいた頃の方がずっと多かった。
「なんかあった?」
あたしの隣で、同じ様にミミコの方を向いていたモモが、視線に気付いて耳元で囁いた。
「ちょっとね」
さっき勢いよくゴミ箱を蹴飛ばした自分をリプレイすると、ちょっと臭くて笑ってしまった。
「何笑ってんの? チコ」
ミミコに突っ込まれたのと同時にステージのライトが付いて追求をまぬがれた。前の方に若い男の子がたくさん詰め寄せている。ステージの一番奥にいるアルを見ると、また少し胸騒ぎがした。
やっぱ違う、こういうのは胸騒ぎっていうんじゃなくて、なんだっけ。
ふいにアルがあたしに気付いてあの屈託のない笑顔で小さく手を振った。
びっくりして、あたしはひきつった笑いを向けた。ミミコとモモも驚いてあたしを同時に見た。
「いつ友達になったの?」
「さっき、煙草買いに行った時」
ふたりはもっと詳しく聞きたそうだったけど、激しいギターのリフが響き出して、また追求を逃れることができた。
ヴァイオレット関連の話はふたりにしたくなかったし、そこを飛ばしたらアルについて話すことはない。
……と思う。
ジャクソンブレイクの曲は本当にどれもかっこよかった。それにアルのドラムは物凄く安定していて、だけど型にはまりきっていなくて、とにかく、師匠と崇めたいくらいかっこよかった。突き抜ける高揚感に心踊るリズム。なんだか、あたしが目指すドラムスの形の一つが具現化したみたいだった。相変わらずたのしそうだけど、あの笑顔の裏で一体どれだけ努力を重ねたんだろう? そんな事を思いながら師匠をじっくり観察する。
しばらくたって、腕を突かれた。隣を見ると、ミミコがにやにやしていた。
「なに?」
「チコ、何があったの? ドラムの人みつめちゃって」
「え? あえ? なんにもないよ、ドラムすごいな、って、」
「まあまあ落ち着いて」
相変わらずにやついたままのミミコにそう言われて、自分でも変だと気付いて恥ずかしくなった。ミミコが変な事を言うから、もうアルを見れなくなって、他のメンバーを見てみる。
ボーカル、ギター、ベース、ギター……だけどやっぱり気になってアルを見てしまう……そしたら偶然彼もこっちを見ていた。
ドックン、心臓が大きく鳴った。
やばい。
あたしにだって、これが一体何なのかくらいは分かる。もの凄く久しぶりだけど。
さっきたったの2、3分話しただけなのに?
確信が欲しくてもう一度アルを見てみた。またアルがこっちを見ていて、正確にはこっち側を見ていただけだけど。
そしたらまた同じように心臓が大きく鳴った。
これ……確実だ、あたしあの人にトキメイテいる。うあ。どうしよう。
落ち着きがなくなって、隣を見てみると、ミミコとモモが緩んだ顔であたしを見ていた。
「な、なに?」
もう隠し通せる訳がないけど、とりあえずとぼけてみた。
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