ロックンロールとエトセトラ  
  1月 ビタースウィートシンフォニー
bitter sweet symphony / the verve
 
   
  #3 ジェイミー・ブラウン モモカ
 

 救急隊員の男の人に、君は?って聞かれた時、あたしは咄嗟にガールフレンドですって答えてしまった。頭で考えるよりも先にもう口をついて出ていた。
 どうして彼はあんな所に倒れていたのか? ドラッグはやるのか? 何かアレルギーはあるのか?
 いろんなことを聞かれたけど、そんなことあたしには分かるはずがなかった。  あたしはただ涙ながらに、わからない、わからない、と繰り返した。そのめちゃくちゃな発音に、彼らはあたしが質問の意味が分からないんだと理解したのか、それからは何も聞かれなかった。
「大丈夫だよ、心配しないで」
 救急隊員のおじさんがそう言って肩を叩いてくれる。
 けれど、目の前に酸素マスクを取り付けられて、意識のないジェイミーがいる。そんな言葉はぜんぜん気休めにならなかった。
 あたしは、また笛みたいな声が出ないように口をぐっとつむっていた。

 病院に着くと、ジェイミーはストレッチャーに乗せられて治療室へ運ばれて行った。
 あたしは待つように言われたベンチに、息を詰めてただ座っていた……一生懸命ひとつのことに目を向けないようにしていた。だけど、頭の中で考えることを制限することなんて、できない。違うことに気を向けようとしても、すぐにイメージが湧いて来て、それに埋め尽くされてされてしまう。

 大学生だったお兄ちゃんは、あたしが14歳の時に自殺した。あたしの目の前から、大好きだったお兄ちゃんは消えてしまった。
 やっと出会えたジェイミーとの明るい未来を想像しようとしても、あたしの想像力はしぼんだままで、全くの役立たずだった。
 それなのに、悪いことはいくらでも思い付ける 。
 涙は止まったと思っても、すぐにこぼれる。体が芯から冷えきって、震えが止まらない。
「大丈夫?」
 優しい女の人の声がして顔を上げると、毛布を持った看護婦さんが立っていた。その毛布をあたしの肩から掛けてくれる。
「ありがとう」
 かろうじて出た声で、そう言えた。
「あたし、アンナ」
 そう言ってにっこり笑うと、アンナは隣に腰掛けた。
「あたし、モモカ」
「まだ寒い?何か持って来ようか?」
 毛布をきつく巻き直すあたしを見て、アンナはそう言ってくれる。こんなやさしい看護婦さんがいてくれてよかった。今はできれば独りでいたくない。
「彼、もう大丈夫よ」
「ほ、本当に?本当にもう大丈夫なの?」
 あたしはアンナの瞳の中を探って、それが本当の真実なのか確かめた。もちろん、彼女は嘘なんてついていないみたいだった。
「ええ、胃の中も洗ったし、薬がすごく効いたから……それに、発見が早かったからね……彼、アレルギーでショック反応を起こしたのよ?」
「アレルギー?……何の?」
 あたしは、てっきり刺されたとかケガだと思っていた。だって、Tシャツが血で染まっていたから。
「ナッツよ」
 ナッツ?ピーナッツとかの、あの?
「ナッツ……?」
「そうなの。一緒に食べた?」
 あたしは勢い良く首を振った。ナッツどころか、彼と口もきいたことがない。 「ジェイミーはナッツアレルギーだったんだ……」
 あたしは自分を納得させるように声に出してみた。
 そうだ、ナッツでショック反応が出る人もいるって、聞いたことがある。
「かなりアルコール飲んでたみたいだから。きっと油断したのね。大丈夫よ、発見がもう少し遅かったら、もっと酷いことになってたかもしれない。だけど、彼は大丈夫よ」
 アンナは最後の言葉を強めに言って、あたしの肩を叩いた。
「まだあと数時間は彼、眠るわ。どうする?待つ?」
 アンナはあたしをジェイミーの彼女として扱っている。ふいに罪悪感が沸き上がって来たけど、あたしはそれを自分勝手な理屈で沈めた。あたしには彼の無事を見届ける権利がある。
 あたしはアンナの質問に深く頷いた。ジェイミーの意識が戻るまで、何時間でも待つつもりだった。
「あなたがそんな顔してたら、彼元気が出ないわ。503号室。もう入っていいわよ」
 あたしは慌てて立ち上がると、アンナにお礼を言って、すぐに病室に向かって走り出した。
「走っちゃだめよっ」
 アンナの声が聞こえていたけど、足が止まらなかった。大きな音で響く自分の靴音すら心地よく感じた。

 病室の前で深呼吸して息を整えると、ドアをそっとノックして中に入った。  ジェイミーはベッドに横たわって眠っている。さっきと違うのは、その顔が少し人間らしい色に戻っていることと、体が仰向けになっていることだった。腕には点滴のチューブ、鼻にもなにかのチューブが入っている。それでもその寝顔は少しもつらそうじゃない。
「よかった……」
 本当にジェイミーは助かったんだ。
 あたしは思わずジェイミーの手の甲をぎゅうっと握った。
 よかった、本当によかった。
 その頬にも触ってみた。さっきとは違ってちゃんと温かかった。あたしの手が冷たすぎたのか、ジェイミーのまぶたがピクピク動いて、あたしは急いで手を引っ込めた。

 すると一気に現実が押し寄せて来た。
 ジェイミーは助かった。あたしはもしかしたら、命の恩人なのかもしれない。でもこっちが一方的に知ってるだけで嘘をついてついて来て、その上にファンだとか言うの? 恩着せがましくお礼を言わせてスキスキって、言うの?
 あたしは、何を期待してたんだろう。  ジェイミーは助かった。それでいいじゃない。
 そう。だって、眠ったままだけどあのジェイミーだよ?  あの、ニットキャップスの。日本のライブ会場であんなに遠くから見上げていた。あたしの憧れのロックスターが、今目の前にいる。

 あたしはジェイミーに触っちゃったんだっ。
 急に事の重大さに気付いてあたしは右手で口を被った。
 心臓がどくどく激しく脈打って、耳が熱くなる。一気に顔が真っ赤になっているのが自分でもよく分かった。

 やっぱりこのまま帰らなくちゃだめだと思った。はしゃいで馬鹿みたいに喋って、ただの熱烈なファンだってジェイミーは思うだろう。そんな子はこの街にはたくさんいる。だから、きっとジェイミーはすぐにあたしのことなんて忘れてしまう。
 あたしはミミコの言葉を思い出してみた。あたしが今ここにいる発端になった壮大な計画を。
 あたしたちはミュージシャンとして、同じ立場の人間として出会うの。ただのファンとして会ったって、意味なんか無いんだから。
 そう……今はまだ時期じゃない……早過ぎる。
 あたしは堅い決心で重い足を後へ引いた。それなのに気持ちとは裏腹に、涙がこぼれた。頭で決めたことに、体全部が反抗しているように感じた。
 本当にこれで後悔しない?  もしも、もう一生会えなかったら?  夢もなにも実現しなかったら?  
  そんな弱気な考えが浮かんで来るほど、決心が揺らぐほど、ジェイミーの引力は強かった。今すぐジェイミーを揺さぶり起こして、そのソーダ色の目であたしを見てほしい。

 でも、あたしは息を止めてぎゅっと目を閉じると、強い意志でまぶたを上げた。そしてゆっくりとジェイミーのそばへ歩み寄った。少しの罪悪感を感じつつ体を屈める。近くで見ても、その高い鼻や深い目のくぼみがまだ嘘みたいだった。  これは今までがんばった自分へのごほうび。そして、これからの栄養剤。
 そう心に誓って、あたしはジェイミーの頬にキスした。体を離すと、その頬にあたしのピンクのグロスがついててハッとした。それでも、頬を擦ったりしたら目を覚ましてしまうかもしれない。
 ごめんねジェイミー。

 そう思いながら、足を忍ばせてドアへ向かった。

 
 

#2#4

 
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