救急隊員の男の人に、君は?って聞かれた時、あたしは咄嗟にガールフレンドですって答えてしまった。頭で考えるよりも先にもう口をついて出ていた。
どうして彼はあんな所に倒れていたのか? ドラッグはやるのか? 何かアレルギーはあるのか?
いろんなことを聞かれたけど、そんなことあたしには分かるはずがなかった。
あたしはただ涙ながらに、わからない、わからない、と繰り返した。そのめちゃくちゃな発音に、彼らはあたしが質問の意味が分からないんだと理解したのか、それからは何も聞かれなかった。
「大丈夫だよ、心配しないで」
救急隊員のおじさんがそう言って肩を叩いてくれる。
けれど、目の前に酸素マスクを取り付けられて、意識のないジェイミーがいる。そんな言葉はぜんぜん気休めにならなかった。
あたしは、また笛みたいな声が出ないように口をぐっとつむっていた。
病院に着くと、ジェイミーはストレッチャーに乗せられて治療室へ運ばれて行った。
あたしは待つように言われたベンチに、息を詰めてただ座っていた……一生懸命ひとつのことに目を向けないようにしていた。だけど、頭の中で考えることを制限することなんて、できない。違うことに気を向けようとしても、すぐにイメージが湧いて来て、それに埋め尽くされてされてしまう。
大学生だったお兄ちゃんは、あたしが14歳の時に自殺した。あたしの目の前から、大好きだったお兄ちゃんは消えてしまった。
やっと出会えたジェイミーとの明るい未来を想像しようとしても、あたしの想像力はしぼんだままで、全くの役立たずだった。
それなのに、悪いことはいくらでも思い付ける 。
涙は止まったと思っても、すぐにこぼれる。体が芯から冷えきって、震えが止まらない。
「大丈夫?」
優しい女の人の声がして顔を上げると、毛布を持った看護婦さんが立っていた。その毛布をあたしの肩から掛けてくれる。
「ありがとう」
かろうじて出た声で、そう言えた。
「あたし、アンナ」
そう言ってにっこり笑うと、アンナは隣に腰掛けた。
「あたし、モモカ」
「まだ寒い?何か持って来ようか?」
毛布をきつく巻き直すあたしを見て、アンナはそう言ってくれる。こんなやさしい看護婦さんがいてくれてよかった。今はできれば独りでいたくない。
「彼、もう大丈夫よ」
「ほ、本当に?本当にもう大丈夫なの?」
あたしはアンナの瞳の中を探って、それが本当の真実なのか確かめた。もちろん、彼女は嘘なんてついていないみたいだった。
「ええ、胃の中も洗ったし、薬がすごく効いたから……それに、発見が早かったからね……彼、アレルギーでショック反応を起こしたのよ?」
「アレルギー?……何の?」
あたしは、てっきり刺されたとかケガだと思っていた。だって、Tシャツが血で染まっていたから。
「ナッツよ」
ナッツ?ピーナッツとかの、あの?
「ナッツ……?」
「そうなの。一緒に食べた?」
あたしは勢い良く首を振った。ナッツどころか、彼と口もきいたことがない。
「ジェイミーはナッツアレルギーだったんだ……」
あたしは自分を納得させるように声に出してみた。
そうだ、ナッツでショック反応が出る人もいるって、聞いたことがある。
「かなりアルコール飲んでたみたいだから。きっと油断したのね。大丈夫よ、発見がもう少し遅かったら、もっと酷いことになってたかもしれない。だけど、彼は大丈夫よ」
アンナは最後の言葉を強めに言って、あたしの肩を叩いた。
「まだあと数時間は彼、眠るわ。どうする?待つ?」
アンナはあたしをジェイミーの彼女として扱っている。ふいに罪悪感が沸き上がって来たけど、あたしはそれを自分勝手な理屈で沈めた。あたしには彼の無事を見届ける権利がある。
あたしはアンナの質問に深く頷いた。ジェイミーの意識が戻るまで、何時間でも待つつもりだった。
「あなたがそんな顔してたら、彼元気が出ないわ。503号室。もう入っていいわよ」
あたしは慌てて立ち上がると、アンナにお礼を言って、すぐに病室に向かって走り出した。
「走っちゃだめよっ」
アンナの声が聞こえていたけど、足が止まらなかった。大きな音で響く自分の靴音すら心地よく感じた。
病室の前で深呼吸して息を整えると、ドアをそっとノックして中に入った。
ジェイミーはベッドに横たわって眠っている。さっきと違うのは、その顔が少し人間らしい色に戻っていることと、体が仰向けになっていることだった。腕には点滴のチューブ、鼻にもなにかのチューブが入っている。それでもその寝顔は少しもつらそうじゃない。
「よかった……」
本当にジェイミーは助かったんだ。
あたしは思わずジェイミーの手の甲をぎゅうっと握った。
よかった、本当によかった。
その頬にも触ってみた。さっきとは違ってちゃんと温かかった。あたしの手が冷たすぎたのか、ジェイミーのまぶたがピクピク動いて、あたしは急いで手を引っ込めた。
すると一気に現実が押し寄せて来た。
ジェイミーは助かった。あたしはもしかしたら、命の恩人なのかもしれない。でもこっちが一方的に知ってるだけで嘘をついてついて来て、その上にファンだとか言うの? 恩着せがましくお礼を言わせてスキスキって、言うの?
あたしは、何を期待してたんだろう。 ジェイミーは助かった。それでいいじゃない。
そう。だって、眠ったままだけどあのジェイミーだよ? あの、ニットキャップスの。日本のライブ会場であんなに遠くから見上げていた。あたしの憧れのロックスターが、今目の前にいる。
あたしはジェイミーに触っちゃったんだっ。
急に事の重大さに気付いてあたしは右手で口を被った。
心臓がどくどく激しく脈打って、耳が熱くなる。一気に顔が真っ赤になっているのが自分でもよく分かった。
やっぱりこのまま帰らなくちゃだめだと思った。はしゃいで馬鹿みたいに喋って、ただの熱烈なファンだってジェイミーは思うだろう。そんな子はこの街にはたくさんいる。だから、きっとジェイミーはすぐにあたしのことなんて忘れてしまう。
あたしはミミコの言葉を思い出してみた。あたしが今ここにいる発端になった壮大な計画を。
あたしたちはミュージシャンとして、同じ立場の人間として出会うの。ただのファンとして会ったって、意味なんか無いんだから。
そう……今はまだ時期じゃない……早過ぎる。
あたしは堅い決心で重い足を後へ引いた。それなのに気持ちとは裏腹に、涙がこぼれた。頭で決めたことに、体全部が反抗しているように感じた。
本当にこれで後悔しない? もしも、もう一生会えなかったら? 夢もなにも実現しなかったら?
そんな弱気な考えが浮かんで来るほど、決心が揺らぐほど、ジェイミーの引力は強かった。今すぐジェイミーを揺さぶり起こして、そのソーダ色の目であたしを見てほしい。
でも、あたしは息を止めてぎゅっと目を閉じると、強い意志でまぶたを上げた。そしてゆっくりとジェイミーのそばへ歩み寄った。少しの罪悪感を感じつつ体を屈める。近くで見ても、その高い鼻や深い目のくぼみがまだ嘘みたいだった。
これは今までがんばった自分へのごほうび。そして、これからの栄養剤。
そう心に誓って、あたしはジェイミーの頬にキスした。体を離すと、その頬にあたしのピンクのグロスがついててハッとした。それでも、頬を擦ったりしたら目を覚ましてしまうかもしれない。
ごめんねジェイミー。
そう思いながら、足を忍ばせてドアへ向かった。
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