ロックンロールとエトセトラ  
  1月 ビタースウィートシンフォニー
bitter sweet symphony / the verve
 
   
  #5 ミステイク モモカ
 

 次の日、出勤するとエレンが待ち構えていた。
「昨日、何があったの?心配したじゃない、こっちにも電話あったわよ」
 エレンは怒っていた。それも当然で、みんなすっかり、無事に戻ってきましたっていう電話をエレンに掛けるのを忘れていたから。

 始発を待って家に帰ると、驚いたことに部屋にみんな集まっていた。本当に、みんないた。
 ドロシアにベン、ロッシにそれからドロシアの孫だっていうアンディまで。彼にはどこかで会ったような気がするけど、思い出せなかった。それどころじゃなかったから。

 あたしはみんなのハグを受けて、それから厳しい尋問に挑んだ。
「こんなにみんなを心配させて、そりゃあすごい理由があるんだよな?」
 ベンまで本当に心配してくれていたらしく、完全にヘソを曲げていた。
 それでも、どんな嫌味を言われてもあたしは平気だった。

 家に戻ったのは3時間くらい前で、結局寝てないけど頭は冴え渡っている。  あたしはエレンに昨日の事を全部話した。
 彼女はあたしのボスで、それに今ではあたしのよき理解者で友達でもある。
「うそ、すごいっすごいじゃないっ。で?次いつ会うの?」
 エレンは喋らなければすごく美人なのに、いつも大口を開けてがははと笑い、たばこをぷかぷか吸って早口で毒を吐く。
「え、そんな約束してないよ。あたし彼の意識がはっきりする前に帰ってきちゃったし。あたしと話してる間も、ジェイミーは意識朦朧としてたから」
「それで、どうするの」
 エレンは近くのカフェで毎日買うカプチーノに口を付けて、あたしをじっと見る。そんなにじっと見据えられても、あたしにはエレンの言ってる意味が分からなかった。
「どう、って?」
「だから、どうして連絡先とか聞いとかないの。デートできないでしょ」
「デートなんて……しないよ」

 あたしのその言葉を聞いて、エレンは口を開いたまま固まった。
 あたしは自分が正しいと思いながらも、エレンの鋭い視線に負けそうになって、おずおずと答えた。
「ちゃんとデモテープとライブのチケットも置いて来たし。それで充分なの」  エレンの顔がどんどん怖くなって、訳も分からずにとにかく謝りたい気持ちになったけど、そうはしなかった。
「だから、どうして?ジェイミーに憧れてたんでしょう?その彼にせっかく会えたのに」
「それは前にも言ったよね、あたしはいずれ同じ立場で会うの。だから今はこれでよかった」
「もおうっ」
 あたしの言葉を遮ってエレンは声をあげた。
「ほんッと馬鹿なんだから、同じ立場って、もしモーのバンドがどうにもならなかったら? 日本に帰るしかなくなったら?」
「酷い、どうしてそんなこと言うの、そんなことないよ絶対に」
「じゃあいいわ。それはないとしても、ニットキャップスだってこれから一生スターなのかどうかなんて、分からないんだから。レコード契約が切られて路頭に迷ったり、バンドが解散してメディアに出なくなったり、ジェイミーを見失うことだってありえるのよ?」
 そんな……そんなこと、今まで考えたこともなかった。
「今までかっこいいバンド、いくつも消えてったでしょ? いつどうなるかわからないんだから。せっかくのチャンスが降ってきたのに、自分から捨てたなんて、ほんと馬鹿よ」
 エレンの攻撃は止まない。
 そしてあたしはエレンが言ったように、どの番組からもチャートからも雑誌からも、ジェイミーが見つけられなくなってしまう日を想像した。
 すると、すぐにエレンの言っていることが正しいように思えた。
「それにね、今回のはただファンとしてサインをねだったとか、そういうことじゃないんだから。彼にとってモーは命の恩人なのよ。忘れたりする訳ないわよ」
「どうしよう、どうしようどうしようっエレンッ」
「そんなの決まってるじゃない。いいわよ、明日倍働いてもらうから」
「あ、ありがとうっ」
 そう言いながら立ち上がってコートを羽織ると、すぐに店を飛び出した。

 

 受付の前を素通りしてエレベーターに乗り込むと、503号室を目指した。エレベーターの中の空気が少なくて、5階に着くまでに窒息死するんじゃないかと思った。
「あ、あの……ジェイミー、ブラウンさんは?」
 503号室の前に来ると、ドアが開け放たれていて中に看護婦さんがひとりいた。  振り返った看護婦さんは、あたしをいぶかしげに見る。
「あの、ブラウンさんは何号室に移ったんですか?」
「ブラウンさんなら、先程別の病院に移られました」
「え?どこ?どこの病院に移ったんですか?」
 あたしはその厳しい目線に耐えて、質問した。
「それは患者さんのプライバシーに関わるので、お教えできません」
「そんなっ」
 あたしは彼の彼女なんです、とはさすがに言えなかった……どうしよう。
「お知り合いなら、どなたか彼の御家族にでもお尋ねください」
 怪しい者を見る目つきでそう言われて、もうどうしていいのかわからなくなったて、病室を出るとエレベーターに向かって歩き始めた。

「ねえ、」
 後ろから声をかけられて立ち止まった。振り向くと、そこには昨日のやさしいアンナが立っていた。
「ちょっと来て」
 小さな声でそう言うと、アンナは早足で歩き出した。あたしはその後を遅れないように付いて行く。アンナは病棟を抜けて、非常口のドアを開けた。
「モモカ、だったよね?」
「はい」
 アンナは非常階段の踊り場に出ると立ち止まった。
「こんなところでごめんね。うちの病院に有名人が来たことなんてなくて全体的にピリピリしちゃってるのよ。ねえ……昨日、嘘ついたでしょ?」
 アンナは怒っているふうでもなく、問いかける。
 あたしは素直に頷いた。
「今朝彼が意識を取り戻してから、連絡先をいくつか聞いて知らせたの。そしたらマネージャーやメンバーが来て。でもあなたのことはみんな知らないって。彼女はブロンドの白人だって言ってたわ」
「レイチェル?」
 あたしは思いついた名前を口に出してみた。病室で彼が一番始めに呼んだ名前。
「そうよ、確かそんな名前だったと思うわ。結局その子とは連絡取れなかったんだけど」  そっか、当然彼女くらいいるよね。分かってたよ。それに、もともと今ここへ来るべきじゃなかったんだから……そうだよ。

 気持ちが一気にしぼんで行く。
「病院。教えてあげようか?」
 アンナは一層声を落としてそう言った。でもあたしは何も答えずに首を降った。
 そしてアンナにお礼を言って病院を後にすると、とぼとぼと店への帰り道を歩いた……

 

*Bitter Sweet Symphony/『Urban Hymns』the verve

 
 

#42月

 
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