「うめえ、ほんと」
ロッシはそう言いながら、アスパラとチキンのクリームパスタを頬張る。シャワーから出たばかりで、まだ髪の毛からぽたぽたと水滴を落としながら。
ロッシの着ているグレーのTシャツの肩は、もうすでにびしょびしょに濡れて黒に近い色になっている。
「ロッシ、風邪ひくよ?」
そう言ってタオルを頭の上に乗せてもロッシは上の空で、無心にパスタを口に運んでいる。しょうがなく、あたしはごしごしとその髪を適当に拭いた。
11月も半ばになってもうすっかり冬だ。毎朝ベッドから出るのがつらくてたまらないし、日本よりも天井が高くて部屋が広いし、かなり冷え込むようになってきた。
ロッシは、あの日から写真以外の全てを放棄してしまった。
仕事には行っているけど、今まできちんとこなしていた家事や、それどころか食べることも眠ることも、今のロッシにとっては重要じゃない。
部屋の暖房すら入れていないことがある。
あたしはノーワンエルスと家とドラムセット、それからロッシの部屋をぐるぐると巡って毎日を過ごしている。
気が付くと、ロンドンに来てから一番忙しくて、一番充実した毎日を送っていた。
相変わらずミルレインボウは好調にロンドンツアーを続け、7つのライブハウスで無事にライブを終えた。デモテープはもう何十本も売れたし、徐々にお客さんも増えている。確実に日本にいた時よりも多い。ファンだって言って声を掛けてくれる人も何人かいた。
「ありがと、うまかった」
ロッシはどんなに疲れていても、あたしが作ったごはんを食べた後、きちんと感謝を表わしてくれる。今ではふたりにならったレシピで、かなりまともな物を作れるようになった。
あたしはロッシの家に来ることをめんどくさいと思った事が、一度もない。
その事をときどき、自分でも変だと思う。あたしはロッシの彼女でも母親でもないし、頼まれてもいないのに。
だけど、それがどうしてなのか、なんて考えないことに決めた。
ただそうしたいからする。それでいい。
ロッシはまるまる1ヶ月間を要して、全てのフィルムを現像した。これから選んだものを印画紙にプリントしていくらしい。これで半分作業が終了したのかこれからの方が大変なのか、あたしには全く分からなかったけど、ロッシはどんなに疲れ果
てた顔をしていても、いつも楽しそうだった。
ロッシは蛍光灯で光る白い台の上にネガを載せて、ルーペに目を付けて覗き込んでいる。あたしはネガを窓から光りにかざして見る。
そして、もっと大きくして見たい。そう直感的に思ったものをロッシに伝える。
ずっと何時間も無言が続いて、ただ黙々とネガを睨んでいるだけの時もある。それでも、そういう時間を少しも苦痛だと思ったことはなかった。
「ああ目がもう限界。ちょっと寝る」
そう言ってロッシはあたしが座っていたソファにどかっと座った。
「はああ」
気持ちよさそうに延びをするとあたしの肩に体を預ける。
「重いって、ロッシ」
「ああ」
ロッシはくぐもった声でそう言ったっきり黙ってしまった。
「ロッシ」
なんとか首を伸ばしてロッシの顔を覗いて見ると、もうロッシは目を閉じて寝息を立てていた。
ロッシはあたしの右肩に頭を乗せているし、ちょうどさっき右肘をソファの背もたれに立てていたから、その手を戻すとなんだかあたしはロッシを抱き寄せているような形になってしまった。
「ちょっと、どうすんのよコレ」
あたしは小さく呟いた。ワザとじゃないことは分かっていても、この状況はちょっと気まずい。
でもしばらくするとそれにも慣れて、まあいっか、ロッシだし。と思えてきた。
ペットの子犬でも撫でるように、ロッシのくしゃくしゃの柔らかい髪の毛を撫でた。
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