ドアを開けると、中から大きな音が溢れ出てきて驚いた。
ピアノ、ギター、ベース、ホーン、パーカッション、コーラス、きらめく色とりどりの音が塊になって押し寄せて来る。
あたしはあの後少しだけ洗い物をして、そっとロッシの部屋を後にした。
そしてゆっくりゆっくりと時間をかけて、遠回りしながら家までのろのろと歩いて帰ってきた。ロッシの最後の言葉を反芻しながら。
さっきロッシが言ったのは、毎日あたしの顔が見れて嬉しかったっていうことなんだろうか?
もしそうだとしたら、ロッシは毎日あたしと会いたいんだろうか。なんで?
あたしはずっと歩きながら考えていた。そうするうち、自然と違う事を考え始めていた。ずっと考えまいとしてきた事だ。
あたしは、どうなんだろう?
毎日忙しくて、なのにロッシの家に行くのを嫌どころか、面倒臭いとすら、思ったことがなかった。今まで嫌いだった料理だって、全然嫌じゃなかった。それに、ロッシがそれを食べているのを見ていると、なんだか満たされているように思える時まであった。
この1ヶ月半で、あたしの中でなにかが大きく変わっていた。
そうじゃない。徐々に変わって行ったんじゃない。
ロッシに夢を聞こうとして『その話はしたくないんだ』って言われたあの瞬間、なにかがはじけた。
もう、そう認めるべきなのかもしれない。
「あ、おかえりチコ」
「ハイ、チー」
リビングのソファからモモとジェイミーが声を張り上げた。部屋ではザ・ポリフォニックスプリーのCDが大音量
でかかっていた。
「どうしたの?」
あたしは声を張り上げた。そうしないとふたりに声が届かないくらい、大きな音で部屋は埋め尽くされている。
「なんか、ジェイミーが突然好きになったの。テレビで見たんだって。あたしたちは前から好きだよねー」
モモは笑う。ジェイミーはソファーに座ってバウンドしながら、両腕を振り上げて歌っていた。ポリフォニックスプリーは、メンバー総勢24人のすごくかっこいいアメリカのバンドだ。お揃いのローブで、まるで秘密の宗教みたいに観客を酔わせる。
「チーも一緒にっ」
ジェイミーがバウンドしながら言う。
「うん」
あたしはコートとマフラーを脱いでモモの隣に座った。
「ロッシのとこ行ってたの?」
「うん」
ジェイミーが飛び跳ねる振動で、モモもあたしも揺れている。
あたしはモモの話を聞いているようで、ポリフォニックスプリーの曲を聞いているようで、本当はロッシのことばかり考えていた。
良くなくちゃいけない 強くなくちゃいけない
一度に2000の場所にいなくちゃいけない
『2000プレイシズ』を聞きながら、歌詞の意味を考えてみたけど、やっぱり何のことを歌っているのか分からなかった。
だけど、なんだか前のあたしみたいだと思った。あたしは、自分を型にはめて、こうしなくちゃいけない、こうじゃないとあたしらしくない、そう言い聞かせていたように思う。
自分で自分に制限を設けることは、ストイックで我慢のいることなのかもしれない。
だけどその反面、自分の決めた枠を外れないように、そこからはみ出さないように、そうやって自分らしくないことには手を付けず、自分を納得させて諦めて、うまくやっていくことは、とても簡単だったようにも思える。そうやって周りと自分のバランスを保ってきた。
だけど、もう少し、冒険してみたらどうなるんだろう。
何にも捕われずに、気持ちを解放してみたらどうなるんだろう。
「どうしたの? なんかあった?」
そんなことをぼーと考えていたら、モモに腕を突かれた。
「え? ううん……ブふッ」
モモの方を向いて笑顔を返したら、その奥に、まさに恍惚の表情で熱唱しているジェイミーが目に見えて思わず吹き出してしまった。
ポリフォニックスプリーの音は幸せと喜びに満ちていて、難しく考えるのなんて無駄
だと思えてくる。自然な心の動きに委ねるしかない。
気付くとモモもジェイミーと一緒にソファに座ったままバウンドしていた。
2人ともゆるゆるに弛んだ顔で笑っていた。そのふたりを見ていると、自分まで気持ちがほっこりとしてくる。
なんだか、ふたりがすごく羨ましかった。
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