ロックンロールとエトセトラ  
 

4月 サヨナラカラー
サヨナラCOLOR/ super butter dog

 
   
  #10 ノットアローン イチコ
 

 泣き腫らした顔を誰にも見せたくなくて、あたしは自分の部屋に上がると、夕食にも降りて行かずにベッドに潜っていた。
 目が覚めるとお腹がぺこぺこだった。部屋は暗闇で、何時なのか分からなかった。
 一階に降りて行くとキッチンから光が漏れていて、中に入るのを少し躊躇してしまう。
「あ、チコ起きた?」
 入口からひょこっとミミコが顔を出した。
「あたし今帰ってきたの、ちょうどパスタ茹でるとこ。食べるよね? ももちゃんは今お風呂入ってるよ」
 ミミコはあたしの顔には驚きもしなかった。
 あたしは黙って頷いた。
「冷凍庫からトマトソース出して温めてくれる?」
 あたしは言われるままにミミコ手作りのジップロックに入ったソースを電子レンジに入れた。
 食事の間、あたしはほとんど何も話さなかった。ただ、パスタを胃におさめて行く。こんな時でも、ミミコの作ってくれたパスタは、ちゃんとおいしかった。

「ロッシがね。すごい顔してスナッグに戻って来たよ? 喧嘩したんだよね?」
 ソファに移動してミミコがあたしの隣に座る。目の前にはミミコの入れてくれたカフェオレが湯気をたてている。
「怒ってた?」
 あたしはおずおずと訪ねた。
「怒ってたよー、あんな怖い顔してるとこなんて初めて見た」
「そっか……」
 そりゃ怒るよね。
「でも、初めは怒ってたけど、途中からは悲しそうだったよ」
「悲しい? どうして?」
「だって。拒絶されるのはやっぱり悲しいよ? それが好きな人だったらよけいに」
 ミミコはきっとイアンとのことを思い出しながら言っているんだろうと思った。
 ロッシはべつにあたしのことを好きなわけじゃないけど。
「ねえチコ……昨日言ってた知り合いって、誰?」
 その途端、胃がひっくり返ってさっき食べたトマトソースが出てくるかと思った。
「やっぱりその人となんかあった?」
 ミミコは労るようにあたしを見ている。心配をかけているのは本当にわかっている。  だからミミコになら話してもいいかと思ったけど、今さらどこから話せばいいのかわからなかった。
 だって、川瀬さんのことは、出会った時から一度も話題にしたことがなかった。
「もう全部話してよ。今まであたしの泣き言いっぱい聞いてくれたじゃない。それに、あたしは格好悪いところばっかり見せてるのに、いっつもチコだけかっこいいんだもん。ずるいよ」
 ミミコはため息混じりでぼやく。変な言い分で思わず笑ってしまう。
「ほんと笑い事じゃないんだよ? これでもあたし、結構悩んだんだから」
「え?」
「だって、チコは何かあってもあたしには言わないし。でもやっぱり雰囲気でわかったりするの。でも、聞かない方がいいのかなーとか、チコが言いたくないってことは、本当はあたしの相談とかもすごく迷惑なんじゃないかな、とか」
 あたしがミミコを悩ませていたってこと?
 あたしは、何も言えずにいた。
「でも、だからって聞いてもあたしには何もできないし。それでいろいろ考えてた時期もあったんだよ?」
 あたしは今までそんなふうに考えてみたこともなくて、本当に驚いた。だって、どんなに自分が苦しかったとしても、周りを巻き込むよりはいいって思っていた。
 相談されても困るだろうし、困らせたくないって。
「ミミコ……ごめん」
 あたしの性格のせいでミミコをそんなふうに悩ませていたなんて知らなかった。
「なんでチコが謝るの」
 ミミコは笑う。
「大丈夫だよ。ももちゃんに相談したの。そしたら『人それぞれ距離の取り方があって、それを認め合うのも友達なんだよ』って言われたんだよね。けどそんなの寂しいってあたしが反論したら、ももちゃんにもチコの気持ちが分かるって。お兄さんの事とかセイくんの事とかあって、人に頼るのが恐かったんだって。だけど……

そこでミミコは黙る。
「けど?」
「ミミコと一緒にいたら、なんとなく変わっちゃった、って言われたんだよね。あの時は嬉しかったな」
 ミミコは笑う。
 あたしは考えてみた。
 どんなに大変なことを相談されてもいくら悩みを聞いても、ミミコやモモの話なら、ぜんぜん迷惑だなんて思ったことはなかった。嫌だとかめんどくさいとか、そんなこと一度も思わなかった。
 ふたりも、それと同じってこと?
「ももちゃんと話して決めたの。チコがどんな秘密を隠してようと、いつかチコが話したくなる時まで待とうって」
 あたしは目を丸くした。あたしになにか秘密があるってバレていたことと、あたしがいない所でそんな話し合いが行われていたことに。
 まるで二人は親みたいに、あたしのことをそっと見守ってくれていた。それなのにあたしはそんなことに、気付きもしなかった。
 とんだ親不孝娘だ。
 あたしは、何を不安に思っていたんだろう?
「ミミコ、聞いてくれる?」
 あたしは今なら何もかも話せる。違う、全部聞いてほしい。

 もう、独りで抱えているのはたくさんだと思った。
 初めっから話すことにした。ムネと行ったあのイベントの夜から全部。
 ミミコは、あたしの進んだり戻ったりする話を、ちゃんと聞いてくれた。
「そっか、チコはその時の自分が嫌いだったんだね。だから黙ってたんだ? でもあたし分かるよ? 自分を押し殺しても一緒にいたいっていう気持ち。そのくらい好きだったんだよね……だけどあたしの我慢は続かないからね。すぐにぶちまけて、相手にめんどくさがられて。で、終わり……結局相手はほんとのあたしを知りたかった訳でもないし、あたしのことをそんなに好きじゃなかったんだだろうなって……傷ついたけど、それが分かってよかったって思うことにしてるの……まあ、そう思わなくちゃやってられないし。結局は、本音の自分を受け入れてもらえなきゃ、意味ないんじゃないかな、って今は思うの」
 ミミコはすっきりした顔で笑う。だけど、その言葉はあたしの胸にズシンと来た。
 あたしは納得した。
 今まで何度も失恋したミミコを見たけど、その度にミミコはあっというまに立ち直る。
 そして、またちゃんとまっすぐ前を向いて胸を張っている。
 あたしにはそんなミミコがいつも眩しかった。
 あたしは話をしながら今まであったいろんなことを思い出して、それから昨日のことを思い出して、少し泣いてしまった。涙腺が馬鹿になってしまった。
 今日1日で過去5年分の涙が出て行ったような気がする。
 ちょうどそこへモモがお風呂から出てきて、またあたしは川瀬さんのことを初めから話した。ミミコもまた同じ話なのに、辛抱強く頷きながら聞いてくれた。
「ねえ? どうして川瀬さんに気持ち、伝えないの? 伝えたくない?」
 ミミコは不思議そうに言った。 「ううん。そんなことじゃない……ただ、」
「川瀬さんが何を望んでるかなんて、本人にちゃんと聞かなきゃ分からないよ。もしかしたら、ずっと本当にチコのこと好きだったのかもしれないし」
 モモが優しくそう言ってくれたけど、あたしは少し考えて顔を左右に振った。
「まさか、それはないよ」
「でも、聞いた訳じゃないでしょ? それに、チコがずっとすっきりしないのは、はっきりさせてないからだよ……きっと」
 ミミコは言う。
「それは……そうかも」
「あたし、結構的確なアドバイスすると思わない?」
 ミミコが自画自賛する。笑ってるけど、実際言われたことは全部的を射てる。
「あたし、人には言えても自分のことはだめなんだよね。いっつも失敗ばっかり……あーあ、人のことはちゃんと見えるのにな」
 ミミコはため息を漏らしてソファに沈んで行く。
「でも、今度はちゃんといい人選んだじゃない?」
 モモが笑いながら言う。
「えっ?」
 ミミコはガバっと勢い良く起き上がった。目を丸くしている。それに顔が赤い。
 あたしも思わず笑ってしまう。
「だ、誰の事言ってるの?」
 とぼけるのがあまりにも下手であたしはモモと顔を見合わせて笑った。
「あの人は、いいと思うよ? 趣味も合うしなんかミミコ一緒に話してるだけで楽しそうだし……もちろん向こうもね」
「チコ、勝手に、誰のこと言ってるのよ?」
 ミミコは反論したけど、もう笑っていた。
「誰も知らないと思ってたなんて、ありえないから。みんな気付いてるって」
「それに、なによりも、彼がロンドンでデモテープ買ってくれた一号君だし」
 モモは笑顔でそう言って、あたしも頷いた。
「えッ? アンディがッ?」
 ミミコは目を丸くして叫ぶ。
「うそっ、なんで言ってくれなかったの?」
『知らなかったのッ?』
 モモとあたしの声が揃った。
「知らない、聞いてない」
 ミミコは首をぶんぶん振りながら言う。
「だって、とっくにミミコは本人から聞いてると思ってた。なんにも聞いてないんだ?」
「聞いてないよー、じゃ、アンディが?」
「そう。『インスピレーション受けたよ』のね」
 モモとあたしの声がまた揃って笑った。
「うっそー」
「ほんとほんと」
「そうなんだ、へえ……そうなんだ、」
 ミミコはひとり頷きながらにやにやしている。
「ミミコ。でも、いっつも少しでも好きな人が出来るとすぐ言うのに、どうして今回は隠そうとなんてしてたの?」
 モモが言う。そう言われるとそうだと思った。
「そうだね……なんでだろ、なんかね。いつもかっこいいなって思う人とか出てくると、嬉しくなってふたりに話すのね。で、なんか話してるとどんどん気持ちが盛り上がって、相手のことよく知る前にもう好きになっちゃってるの。その頃にはもうふたりがいくらやめた方がいいって言ってくれても、絶対そんなことないって思っちゃってるし。で。結局泣くはめになるんだよね……その悪循環を断ち切ってみようかな、って」
「へええ」
「ミミコ成長したねえー」
 実際、ミミコはいつも恋愛に振り回されて泣いていることが多かった。あたしがいくら正しいと思うことを言っても、その時は聞く耳を持たない。だからこっちが心配でおろおろしてしまうくらいだった。
「でしょ? あたしだっていろいろ考えてるんだからね。だから、チコも頑張るんだよ」
 ミミコはあたしの腕を痛いくらいにばしっと叩いた。
「うん……うん。だね」
「よし、飲もう」
 ミミコはまだにやにやしたまま、キッチンへ立った。
 あたしも、覚悟を決めよう。
 きっと、あたしも変わる時期に来たんだよ。
 それからたくさん話をした。酔ったせいかあたしはぺらぺらと今までふたりに話さなかったことを話した。
 川瀬さんのこと、シェイカーズのこと、父のこと額の傷のこと。

 ベッドに入る頃には今までどうして話そうとしなかったのか、自分が信じられないくらいになっていた。

 
 

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