「じゃあ、僕そろそろ帰るよ」
ソファでテレビも付けずにいろんなことを話した。なんとかまともな夕食も作ることができて、ジェイミーも褒めてくれた。
ミミコはご飯の後気を遣ってか、自分の部屋に戻ったままで、さっきロッシの家から帰って来たチコも、心の底からお礼を言うジェイミーを見ると、自分のことのように喜んでくれたけど、それっきり自分の部屋に上がっている。
「もう?」
「うん。明日発つから」
「そっか。いつ戻るの?」
どんどん寂しさが込み上げて来る。
「来週の水曜日だよ」
「1週間も?」
「うん」
昨日まで2週間離れていられたのに、今ここでさよならするって考えただけで、胸がちりちりする。
「どこ行くんだっけ、聞いてなかったよね?」
「言ってなかったっけ? 日本だよ」
「日本? ついこの前行ってなかった?」
「うん、前はプロモーションでひとつだけシークレットやったけど、今回はちゃんと5箇所ギグするんだ」
ジェイミーは目をきらきらさせて言う。
「そかあ。いいなあ、あたしもう一昨年からニットキャップスのギグ見てないよ。見たかったなあー。アルバムも日本先攻発売だもんね、早く聞きたいのにっ」
黙っているジェイミーをよく見てみるとちょっと耳がピンクになっていた。
「モーモ、そんなにキャップスが好きなの?」
ジェイミーは少し困ったような顔で聞く。そして黙ってしまう。
はっとした。今更数時間前の会話を思い出す。自分のファンとは関わり合いたくないって聞いたばっかりだったのに。
ジェイミーは今呆れているのか、それとも後悔してるのかもしれない。
「……そうだっ、じゃあ、一緒にくる? そうだ行こうよ。モーモの住んでた街も見てみたいし」
あたしの予想は外れて、ジェイミーはとんでもないことを言い出した。むしろテンションが上がっていた。
「え、そんなこと出来ないよ。ジェイミーは仕事じゃない」
「そうだけど、でもうちは別にメンバーが誰を連れてきても気にしないし、だからそんなに気にすることないよ。ホームシックとか、なってない?」
少し考えてみたけど、全くホームシックになんてなっていなかった。自分でも驚きだけど。10ヶ月経っても、まだ遠い日本に思いを馳せたりしたことはなかった。日本食は2ヶ月に一度協力的なミミコ宅からどっさり届くし。
それよりなにより、まだ日本に帰る時期じゃないと感じていた。
「……ごめん、困らせるつもりじゃなかったんだけど」
黙ったあたしに、ジェイミーは明るくそう言ったけど、顔をあげて見てみると少し困ったような顔をしていた。
「ジェイミー、ありがとう……でもね、まだ何も出来てないし。ほんと言うとお父さんやお母さんに会うのが恐いの……二人の反対を押し切って出て来たし、きっとすごく悲しませたと思うから……たった1人の子供になってしまったあたしは、ずっと両親の傍にいないといけなかったんじゃないかなって。今でも時々思うの」
それはいつも心の何処かにあったけれど、必死で目を向けないようにしていた事だった。ミミコにもチコにも、誰にも話したことがなかった。きっとふたりは心配して、それにいろんなことを考えてあたしに気を遣ってしまうだろうから。
あたしも心からここへ来たいと思って来たし、その責任はふたりにはない。だからよけいな心配をかけたりしたくなかった。
「連絡は、取ってるの?」
ジェイミーはいたわるようにあたしを覗き込む。
「うん、ちゃんと毎週うちに電話掛けてるよ。あんまり話せないけど。二人とも、おにいちゃんがどうしてああなったかなんて知らないけど、おにいちゃんが好きだったロックとかギターとかバンドとか。全部を否定してるから。でも、元気なことはちゃんと知ってるよ」
不思議な感覚だった。誰にも言えなかったことが、ジェイミーに言えた。
そしたら気持ちが少し軽くなった。口に出してしまうことで重みを増す言葉もあるけど、その反対もあるんだ。
「そっか……じゃあお土産買ってくるよ。何がいい?」
ジェイミーは同情したりお説教しようとしたりしなかったし、それ以上なにか聞き出そうとしたりもしなかった。
だけどあたしを引き寄せて、背中を撫でてくれる。
ああ……今欲しいのはこれだった。 あたしは安心してジェイミーの胸に体を預けた。
「離れらんないな」
ジェイミーが溜息交じりにそう言った。
「じゃあ、帰らないで」
ジェイミーに催促されたんじゃない。自然に口からこぼれた。背中を行ったり来たりする手がぴたっと止まった。
「いいの?」
「うん」
あたしは照れて顔があげられなくて、ジェイミーの胸に顔を押し付けたまま答えた。迷いはなんにもなかった。
あたしは、信じるっていうことを、ミミコに教えてもらった。
ミミコにジェイミーが泊まる了解を得ようとドアをノックして開けると、ミミコはベッドに辞書やノートを広げて、受験勉強しているみたいに本を解読していた。
ミミコは本に夢中になりすぎていて、うわの空で了解してくれた。チコも快く了解してくれた。
シャワーを浴びてベッドに入ってもまだ、お互いにたくさん話したい事がありすぎて、気付くともう3時になっていた。
「明日何時?」
「ヒースローに2時。アッ、僕荷造りしてないんだった、くそっ」
「一週間分だったら、けっこういるんじゃない?」
「うーん、大丈夫だよ。荷造りには慣れてるから」
ジェイミーは笑う。
「そっか、そうだよね。世界中旅してるんだもんねー」
「そうだよ、だから余裕。あれ? モーモは明日仕事じゃないの?」
「ハッ!そうだった、あたし明日仕事だよっ。忘れてたッ9時には起きなきゃ」
「僕より早起きじゃないか。じゃあ一緒に起きてさ、モーモと一緒に出ればいいんだ。そしたら荷造りも完璧」
そう言って笑いながらジェイミーはあたしをすっぽり覆う。ジェイミーの胸にぎゅむっと顔が押し付けられて、息が少ししか出来ないけど、ただにやけていた。
ジェイミーが、本当に愛しい。あたしはジェイミーの胸に顔を埋めて、幸せに浸っていた。
ジェイミーは少し腕を緩めるとキスをする。
「そろそろ寝ようか」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
あたしがベッドサイドのライトを消すと、ジェイミーはあたしを優しく抱いたまま目を閉じた。あたしも目を閉じてみたけど、興奮していて少しも眠くなかった。
正直、ジェイミーがシャワーから戻ったあたしをすぐに押し倒したりしなくてほっとしていた。少し暗闇に目が慣れて、ほんの10センチ先にあるジェイミーの顔が見える。
……考えてみれば。あたしが最後にセックスをしたのはいつだっけ? 思い出すと恐くなって思わず息を飲んだ。だってそれはセイくんとで、別
れる少し前、ミルレインボウ結成以前になる。それって6年も前……今までそれについて悩んだこともなかったけど、改めて考えてみるとものすごく不安になってきた。
もしかしたら、もう全部忘れているかもしれない。それに、ジェイミーに触れられるってちょっと考えただけでも、心臓が破裂しそうなのに……その上ジェイミーにあたしの裸を見られるんだッ。
「眠れない?」
急にジェイミーの目がぱっちり開いて、同じように目を開いたままのあたしに言った。
「あ、え、う、うん」
こんなにドキドキしたまま眠れるはずがない。ときめいているのか動悸なのか、自分でもわからないくらいになっていた。
「ジェイミー寝てたんじゃないの?」
「ううん。なんか、目が冴えちゃって」
そういいながらジェイミーはあたしの前髪にキスして、腕に力を入れる。
「モーモ」
ジェイミーが耳元で囁く。
「ん?」
「あのさ、今日は我慢したかったんだけど。無理みたいなんだ……」
しゃがれた声で言う。
ジェイミーが何の事を言っているのかすぐに分かった。
ジェイミーは間違ってなんていなかった。
だって、あたしがこのベッドに招待した時点で、話はもう決まっていたも同然だった。
あたしだってそのつもりだった……たぶん。
だけどジェイミーはすごく紳士的だった。
そう思ったら、あたしはもうどうにでもなれっていう気持ちになった。
それに、あたしだってジェイミーにもっと触れたい。
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