「ま、元気出せよ。ほらビールにチップスもあるからな」
ロッシがざらざらっとボウルに出したお菓子を見てあたしは思わず吹き出した。
「まだあったのっ?」
それは前にベッカムが見たくていっぱい買ったフットボールパフだった。
「ああ、まだまだあるぞ」
「だって、あれ2ヶ月くらい前じゃない?」
「あー、だっけ? まあいいだろ? まだ食えるし」
確かに、そう言われて食べてみると、ちょっと湿気ていたけどまずくはなかった。
数十分前、あたしがやけになってドラムを叩いていると、ロッシが来て言った。うち来いよ、って。そしたらなんだかあたしは急にぺらぺら喋りたい気分になって、ロッシと一緒にガレージを出た。
「あたしバカだよね。あの人はさ、あたしに優しかった訳じゃなくって日本人にひいき目だったんだよ……それを勘違いして……はあ恥ずかしい」
「まあまあ、そんな自分を責めんなよ。誰だって、優しくされりゃ嬉しくなるって」
ロッシは優しかった。
こんなふうにぐちるのは、今までロッシの方だったのに。
「でも……なんできづかなかったんだろう。指輪。絶対この前だってしてたはずなのに。あたし助手席に乗ってて。絶対に左手目に入ってたはずなのに」
あたしは深々とため息をついた。
「もしかしたら、チーの気を引く為に外してたんじゃね?」
「ううん、それはないよ」
あたしはすぐに否定した。だって、もしそんな馬鹿な男だとしたら、自分の見る目のなさによけいに落ち込む。
「よし、おまけだ」
無言で立ち上がったロッシはキッチンから何か持ってきた。
そしてあたしの半分減ったビールのグラスに、トマトジュースとくし型に切ったレモンを入れて、レッドアイにしてくれる。レッドアイはジントニックの次にあたしの好きなお酒だ。
「ありがと」
「おう。今日は呑もうぜ。酒ならいくらでもある」
ロッシはそう言って胸を張った。
確かに、ロッシの家にはものすごくたくさんのお酒がある。べつにアルコール中毒じゃない。ロッシはカクテルを作るのが上手で、家にもいろんな種類のお酒を常備している。正直ベンが作るよりも、ロッシが作るジントニックの方があたしはおいしいと思っていた。
「ロッシは将来お店出すの?」
なんとなく思い付いたことを口に出すと、ロッシはきょとんとしていた。
「へ? 店って、スナッグみてえな?」
「そうそう」
「いや? そんな気ねえけど?」
ロッシは不思議そうな顔で言う。
そういえば、ロッシって何になりたい人なんだったっけ。あたしたちと同じ歳で、リバプール出身で、なにか目指してロンドンに来たんじゃなかったっけ?
前にミミコが言ってた気がする。なんだっけ。
「ロッシって何になるんだっけ?」
「エ?」
ソファの左側に座ったロッシが固まった。
「ロッシはなんでロンドンに来たんだっけ? 前にミミコが言ってた気がするんだけど。今ふと思って」
「あー……それか。いや、いいよ忘れて」
ロッシはなんだか歯切れの悪い言い方をした。
「え? なんで?」
「いや、それはもういいんだ」
ロッシはあたしと目を合わせようとせずに、まだ山盛りのボウルにさらに袋からチップスを足した。
「あきらめたってこと?」
「ああ……いや、そういう訳でも……ごめん、この話はしたくないんだ」
ロッシはそう言ってレッドアイを勢い良く飲んだ。
「そっか、うん。わかった」
それは、今まであたしが何度も口にしてきた言葉だった。 『ごめん、その話はしたくない』
だけど、自分が言われると、こんなにも重く突き刺さる言葉なんだと初めて知った。
きっと、今まであたしはたくさんの人をこんな気持ちにさせてきたんだろう。
「じゃあ、あたしの話聞いてよ」
あたしは、らしくもなく明るい声でアルのことをまた話し始めた。
前にも話したって覚えていたけど、彼の素敵な所やさっきショックだった事を繰り返し話した。
だけどほんとは、もうアルのことなんてなんとも思っていなかった。
ロッシはどれにも初めて聞いたように頷いて、あたしを励ましてくれた。
だけどあたしたち2人の間に、なんとも言えないサランラップみたいな透明の薄い膜が貼られているような気がした。
急にロッシを遠くに感じた。
思えば、あたしはずっとロンドンで一番の男友達だと思っていたけど、ロッシのことなんて何にも知らなかった。
ミミコに恋をしている、いい奴で優しいロッシ。口は悪いけど、本当は育ちが良くて紳士的なロッシ。それ以外、なんにも知らない。
そのことを急にはがゆく感じた。
10月(了)
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