ロックンロールとエトセトラ  
 

9月 スターシェイプド
Star Shaped/ blur

 
   
 #6 夕焼け イチコ
 

 日曜日。
 ジェイミーがひさしぶりにロンドンに戻って来る日で、モモは家にいる予定だったし、ミミコは仕事だった。
 結局、あたしはジャクソンブレイクのストリートライブに独りで行くことにした。もちろん、先週以来アルと連絡は取っていない。というか連絡先なんて聞いてない。
 それでも、あたしは取り憑かれたようにアルのことばかり思い出しては、にやにやしていた。
 もうすでにミミコにもモモにも、それからロッシにまで新しい恋のことを報告していた。  素直に気持ちを受け入れてみようと思ったら、それは意外と楽だった。
 隠して押し込めるよりもずっと。
 些細な事だけど、あたしにしたらすごく大きなことで。
 だからここ数日で、なんだか自分が別人に生まれ変わったような気さえしていた。
 ポートベローのマーケット近くの広場に行くと、すぐに分かった。
 だけど、早く来過ぎたらしい。まだ楽器のセッティング中で、お客さんも集まっていなかった。少し時間潰ししてから来よう。そう思って引き返そうとした時、アルがこっちに気付いた。
 だから、彼のそばに歩いて行くしかなくなった。他のメンバーにも挨拶する。みんな笑顔を向けてくれたけど、アル以外のみんなが口々に同じような事を言った。
「あれ? ふたりは?」
 近くにあったコーヒースタンドで温かいラテを買ってベンチに座ると、準備が進んで行くのを眺める。冷たい風がびゅうっと吹き付けたけど、気持ちが昂っているせいで寒さなんてほとんど感じない。
 発電機から出る紐を、みんなが代わる代わる引っ張る。アルの番が来ると、彼は真剣な顔でそれを引いた。彼が力を入れる度に、機械がウォーンと唸った。
 あたしはまた目が離せなかった。あたしは、おとこの人の真剣な顔、というか少し苦しそうな顔に弱い。たぶんそれはずっと前から。
 昔、川瀬さんが熱を出しながらブースに立っていた時、不調で曲の頭を合わせるごとに苦しそうに片目をつぶっていた。だけどあたしは、彼を心配するどころか、その顔に見とれていた。
 いつのまにか少し人が集まっていた。ライブハウスで見掛けたような気のする人もいたし、サラリーマンや年配の人もいた。
 当然、ジャクソンブレイクのライヴは最高で、夕焼け色に染まった広場はどう見てもライティングされたステージだった。
 お客さんも少しずつ増えて、ライブハウス程ではないけど、後ろの方に立っていたあたしからは、見えなくなってしまった。それでも、あたしはアルのリズムを頭に叩き込んで、それからにも胸に刻み込んでいた。

あっという間にライヴは終わってしまった。だけどすぐに帰る気にはなれなくて、アルと話がしたくて、彼の方へ歩いて行った。
 ミミコからは、しつこくしつこく、彼の電話番号を聞いて来るように言われていた。だけどどう考えても、不自然じゃなくそんな話題を持ち出すなんて、あたしには不可能だろう。
 アルのそばには先客がいた。あたしは思わず足を止めた。
 そのあたしに気付いて、アルが手を上げる。
 また、彼のそばまで行くしかなかった。
「楽しんでくれた?」
「うん。ほら、彼女が日本から来たチーだよ」
 アルが隣に立っていた女の人にあたしを紹介する。なんだか、嫌な予感がした。
「ああっ、はじめまして、」
 彼女は、そう日本語で言った……思った通り、彼女は紛れもなく日本人だった。
「あ、どうも」
 あたしは嫌なドキドキ感で、うまく話せなかった。それに、視界の隅でちらちらする、彼女の赤い爪が気になってしょうがなかった。その爪は、アルの腕を行ったり来たりしていた。
「彼から聞いてね、会いたいと思ってたんだ。あたしヒサコ」
 そう言ってヒサコさんは右手を出した。つやつやの黒髪をオカッパに切って、ゴールドのアイシャドウを涼しい目に入れた、アジアンビューティーだった。
「女の子三人で来たんだよね?」
「うん」
 あたしは適当に頷きながら彼女の握手に応えた。
「そっか、ふたりにも会ってみたいな、日本人の友達いなくって。ケンカしたんでしょ?あたしもよく差別 とか感じることあってさ」
 ヒサコさんはあたしに対する好意を示してくれていたけど、あたしはショックに次ぐショックで、もう自分がどんな顔をしているのか分からなかった。
 アルがあたしに優しかったのは、あたしが日本人だったからで、あたしが勝手にふたりの秘密みたいに思っていたことも、アルは当然彼女にすっかり話していた。
「僕も仲間に入れてよ」
 そう言って手を上げた彼の左手を見て、あたしはもう逃げ出すしかなかった。
 決定打だった。
 あたしは適当に話を切り上げて、そこからさっさと脱出した。
 もうあたしが取り乱しているように見えていたとしても、かまわなかった。

 だって。ヒサコさんはアルの彼女なんかじゃなかった。

 ……奥さんだった。

 
 

#5#7

 
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